新春対談「21世紀の世界を変える非同盟運動」を読む

日本AALAの機関紙の新年号に上記の対談が掲載された。話者は西谷修さんとAALA代表理事の吉田万三さん。以下はこの対談を読んでの感想である。


非同盟運動はなぜ「運動」なのか

① 非同盟運動は戦後一斉に独立を勝ち取った新興国が始めた運動である

② 新興国は国連中心主義を掲げ、それによって平和と発展を期待した。

③ しかし、国連軍として参戦した朝鮮戦争が大規模化し、新興国まで巻き込まれた。

④ 新興国は国連にだけ頼っていては安全は守れないことに気づき、平和共存のシステムづくりに乗り出した。

⑤ さらに国連憲章の集団安全保障の理念が大国主導にならないよう、改善を求めた

⑥ さらに軍事同盟そのものが世界の平和の妨げだと考え、同盟をなくすよう主張するようになった。

⑦ さらに現代軍事同盟の中核に核の支配があると考え、核廃絶を運動の中心課題にすえた。

⑧ さらに国際外交を大国主導でなく、個別の取引でなく、集団で交渉するべきという多国間主義を訴えている。

これらはいずれも大変重要で、今日的な課題であり、これらの提起を実践的に担ってきた非同盟運動の役割は大変大きい。

注③ 3年間にわたる朝鮮戦争で両軍合わせ300万人が参戦、うち80万が戦死した。国連憲章の集団自衛権に基づき多くの新興国も参戦している。例えばフォリピン、トルコ、コロンビアなどは数千名を派兵した。朝鮮半島のすべてが戦場となり、民間人150万人が犠牲となった。とくに後半戦は実質的な「米中戦争」で、核兵器以外のすべてが使用された。

注④ 1954年の周恩来・ネルーによる平和5原則(領土、主権の尊重 不侵略 内政不干渉 平等・互恵 平和共存) 当時中国は中共と呼ばれ国連への加盟を認められなかった。

注⑤ 平和共存実現のため、国連憲章の集団的自衛権のしがらみをどう振りほどくかが、バンドン会議の最大の焦点となった。バンドン声明は10項目あるが、そのうちの (5)国連憲章に従い諸国民が個別的、集団的に自国を防衛する権利の尊重 (6)集団的防衛機構を大国の特定の利益に用いず、他国に圧力をかけない (7)領土保全、政治的独立への侵略、脅迫、力の行使をしない (8)国際紛争は国連憲章に従い、関係国が選択する平和的手段で解決 の4項目が、平和共存の内容となっている。
これは非同盟運動が国連中心主義を貫きつつ、どうやって非戦と平和を維持していくのか、どうやって各国の自決と尊厳を守っていくのかという問題に関わる運動であることを意味している。

つまり非同盟運動というのは軍事同盟に入るか入らないかではなく、軍事同盟に反対し軍事同盟をなくしていく運動なのだ。
しかしこれはあくまでも原理的な視点なのであって、実際上は資本主義と社会主義のどちらの世界にも入らないという「第三世界論」が支配的であったことは認める。


社会主義体制の崩壊により非同盟運動が反軍事同盟の原則に立ち帰った

90年のベルリンの壁崩壊により、東西対立という関係は基本的には消失した。これに伴い「第三世界」という概念も根拠を失った。しかし非同盟運動は存続し続けた。

これを当時支えたのは東南アジア諸国のイニシアチブであった。

1992年にジャカルタで開かれた非同盟諸国首脳会議では、改めてバンドン宣言の意義が問い直され、非同盟運動の原点としての国連中心主義と反軍事同盟路線を確認した。90年以降の非同盟運動のスローガンとして押し出されたのが多国間主義である。これは国連中心主義と反軍事同盟路線がもたらす必然的な実践的な帰結である。

多国間主義は東南アジアにおいて反軍事同盟路線と平和共存、さらに共助・共栄のセットとして打ち出され、ASEANとして結実した。それを国際的には国連中心主義として踏み固める方向が打ち出された。その際にバンドン宣言の精神が大いに生かされている。

この多国間主義に示された反軍事同盟路線は、いわば東南アジアに地域を限った「限定版のお試しセット」として打ち出されたために反米色はほとんど感じられない。むしろ注意深く避けられていると言える。「色々事情もあるだろうから軍事同盟は否定しないが、私たちはそういうのには関係なくやってみたいです」という感じだろう。


中立から非同盟へ 国家のあり方としてのスローガン

非同盟という概念は、ラテンアメリカ諸国のように直接アメリカが軍事同盟の網の目を形成している地域では、のんきな話ではない。非同盟を掲げることはアメリカとの関係にイチャモンを付けることになる。

たとえ経済面だけに絞ったメルコスールでも、アメリカは容赦しない。経済的自立を図ったブラジルの労働党政権やアルゼンチンの正義党政権は、ベネズエラと同じような難癖をつけられ潰された。

そういうわけで非同盟運動はなかなか難しい運動である。しかしある意味で言えばむずかしいからこそ「運動」なのであって、たんなる非同盟諸国のなかよし会ではないのである。


非同盟運動はきわめて広い思想をふくんでいる

非同盟運動の核心の一つである「国連中心主義」という考えは、世界のあり方を枠づける究極のユニバーサリズムであると思う。それは超富裕層が提起するグローバリズムの考えに対置される。肝心なことは独立、平和、共存ということであり、思想、文化、宗教の何如を問わない。国際間のルールが国連機関やさまざまな国際法を通じて遵守されるような世界を作ることである。

例えば宗教であるが、進歩勢力は国内レベルでは、非宗教的で理性的な政治をもとめて戦う。しかし国際レベルでは敵対的態度を取らない限り、協調し対話をもとめる。なぜならさまざまな歪んだ形の民衆政治(ポピュリズム)は、つまるところ歪んだ世界への不寛容の表明だからである。私たちは歪んだ世界を正していくことでは協調できると思う。

人権という原理で世界の民衆の運動を裁断するのは、少なくとも今生きているこの社会では賢明な方法ではないと思う。

世界を支配する米国こそ最強の原理主義国だ。「アメリカ第一主義」という原理を押し付けており、その下で先進諸国がグローバリズムという原理を押し付けているから、歪んだ世界が作り出されているである。


非同盟運動は「世界に対する責任」のあり方を示している

アメリカ第一主義ということは、「アメリカは世界に対して権利は持つが、責任は持たない」という宣言である。世界の諸国が仲良く付き合っていこうという際に、こういう国が存在するのはまことに困ったことである。米国は「ない方が良い国」になりつつある。とくに所得の再分配という機能が国際的に働かなるということでは、世界の将来は大変暗いものになる。

そういうことになると、「世界に対する責任をどうやってみんなで分け合っていこうか」と考えたり、議論したり、実行したりできるのは非同盟運動にくわわる国だけになってしまう。同盟国はアメリカと同盟を結んだ瞬間に思考停止に陥ってしまうからだ。日本やEU諸国を見ていると、どんどん従属的になってきているのが分かる。

「世界に対する責任」というのは、これからますます大事になってくる考えだと思う。

吉田万三さんは「世界の新しいあり方として非同盟運動が大事な役割を果たしていく」といっているが、まさにここが一つのポイントになるだろうと思う。