ドクター・マンローの人生をどう見て、どう描くか

この2ヶ月半ほどはマンローの年譜づくりに夢中だった。
と言っても、年譜はすでに3つほどある。
一つはほぼ唯一と言っていい「マンロー伝」を書き残した桑原千代子の作成したもの。
一つは、残念ながら未完のまま終わった谷万吉らの年譜である。
そしてもう一つが、沙流川歴史館年報に掲載された、詳細な年譜である。この作成には佐倉の歴博が絡んでいるのかも知れないが、詳細は不明だ。
それぞれにソースが異なり、私はそれらを突き合わせた。かなりわからないところもあるが、わからないところが分かったということは前進であろう。
その他、最近になって英国にあってマンローの研究に指導・助言を与えたセリグマンという学者に送った手紙が公開されているようだ。その一部が紹介されている。
一番、彼の思想を知る上で重要と思われる、いくつかの哲学的エッセーがある。目下のところ、その題名を知ることができるのみで、内容が分からない。前後の事情から類推するのみである。

率直に言えば、桑原さんの伝記は史料として貴重なものであるが、マンローという人物を知る上ではかなり不満が残る。

私の目下の感想としては、彼の最大の功績はその晩期にある。まず何よりも“彼がそうやって生きた”ことに我々は感動する。
もちろんその間に文字通り地を這うようにして収集した民俗学的情報は、おそらくアイヌ研究における金字塔となるであろう。
しかし“彼がそうやって生きた”ことの意味が持つ普遍性に比べれば、学術的な意義はかすんでしまうほどだ。

ということで、医者でもある私に最もふさわしい仕事は彼の気持ちを想像しながら、その生きた道を物語ることだろう。

若い頃、「ドクトル・マンボウ航海記」という小説があった。北杜夫の書いたもので、卒業後なんとなく現実逃避みたいにして船医になる。そして世界を漫遊するという設定だった。
マンローは逃避どころか、まっしぐらに人類学の旅に突っ込んでいったので、そのへんは少し違う。しかしスタイルとしては、何となくそれでいいかなと思う。
つまり一人称に近い形でマンローに寄り添い、彼が何かをしたとき実は何をしたかったのかを忖度しならお付き合いするという文体が、マンローを表現するのには最もふさわしいのではないかと思う。

そんなことで、まずは始めて見ますか。