後進国は「社会主義」を語ってはいけないのか

今回の綱領改定議論で一番イヤな感じがするのが、ここなのだ。志位さんは一生懸命に中国を批判することで後進国革命を否定しようとするが、それとこれとはレベルが違うと思う。
マルクス主義の最も魅力的なのポイントは、どんなに遅れたスタート地点からでも社会主義へのキャッチアップは可能であり、世界の模範となりうるのだという「ユニバーサリズム」であったと思う。
今は先進国の植民地となり支配された後進国だけれども、いつかは民主主義革命を成功させ人民民主主義を実現できると考え、多くの若者が共産主義の理念を支持した。これが20世紀を大きく前進させる原動力となった。
今それをそのままの形で社会主義理論に流し込むのは辛い。それはよく分かる。しかしそれならそれなりの総括はすべきである。「もうあなた方の運動の先に社会主義なんてものはないんだよ」と言い切る無神経さが、昔風活動家としてはいささか辛いのである。

かつて日本共産党の先輩は60年の「80カ国共産党の声明」に当たり、3つの革命勢力の同等性を説いた。そして社会主義諸国の戦いがすべてに優先して革命を推進する力になるのだというソ連・中国と対決した。これは今でもきわめて正しいと思う。

変化する国際的力関係を考慮せずに特定の変革勢力だけを突出させるのは、革命運動の漫画化に等しい。ましてそれが革新勢力の中心概念になるのだとしたら、私としては天を仰ぐ他ない。

資本論の新版が出るのに合わせ、社会主義の未来についても議論が盛んである。しかし先進資本主義国の未来にしか社会主義像がないのだという議論は、あまりに貧しく寒々しい教条主義だ。

そこでは独裁的で反動的な権力を民衆の力で顛覆したロシア革命や中国の解放闘争、さらにアメリカと高い勝利したベトナム解放闘争すらその歴史的意味を消失する。ましてやキューバやニカラグアの戦いなど一時的な民衆の錯乱と受け取られるしかない。

いつの間に、日本の社会主義・共産主義思想は乾燥シイタケのように干乾びたものになってしまったのだろうか。