ジャワ原人の記事が赤旗にのっていた。
随分、現代に近いところまで住んでいて、ホモ・サピエンスとかぶっていたのではないかとも言われたが、結局10万年前にはいなくなったようだというのが今回の記事。
何処かの小さい島には矮性種ホモ・フローレシエンシスが生き残っていたらしい。ガンドンで発掘された原人はかつてはソロ人と呼ばれた。ジャワ原人の子孫であり、これも結構最近まで生き延びていたようだと言われる。なかにはアボリジニーの祖先ではないかという人もいるらしいが、これはDNAで完全に否定されている。
ただそれでもすごいのだ。180万年前にすでに存在が確認されている原人が10万年前まで生き延びていたということはすごいのだ。どうもあの辺りにはコモドアトカゲとかオランウータンのように、生物種を生き延びさせる環境が備わっているようだ。

ジャワ原人
ジャワ原人の記事が気になったのは、たまたまマンローの年譜を編集していて、彼が横浜を根城に遺跡発掘を始めた頃に、インドネシアでジャワ原人が見つかったからである。
「彼にとってはかなりの衝撃だったろうなぁ」と思っている。
その後彼も三ツ沢遺跡で旧石器人のほぼ完全な人骨5体を発見しているから、かなりのインパクトを与えてはいる。しかし所詮は縄文人であり、今ならゴロゴロある。

それはそれとして、とにかくジャワ原人について少し調べてみることにする。


ジャワ原人(ウィキペディア)

170 - 180万年前にジャワ島で住んでいた化石人類である。
オランダ人ウジェーヌ・デュボワが1891年に発見して以来、名称は変遷を遂げている。
デュボアはPithecanthropus erectusと名付けた。ピテクス(サル)+アントロプス(ヒト)の合成語である。
ドイツの生物学者ヘッケルは、東南アジア方面で人類の進化が起こったとし、ピテカントロプスというきざったらしい学名を用意した。
そしてその説を信じたデュボアがジャワ島で原人の骨を見つけたのである。
ピテカントロプスの名は、1920年代になって北京原人が発見されたことから公認された。
しかし戦後になって、それらがすべてアフリカに出自を持つことが確認され、ピテカントロプスという学名は消失した。
現在の正式名はHomo erectus erectusである。