結局、ギリシャ自然哲学の到達点は「非在」ということだ。

非在ということは、2つある。

1.原子論による非在→有関係の乗り越え

一つは諸物の根源は空気だということである。空気というのはなにもないということだから非在であるが、無ではないということだ。

そこにはなにもないようでいて実はある。それが原子だ。

デモクリトスの「原子論」によりギリシャ哲学は非在から有への転換という難問を乗り越えた。

ここから出てくる派生的な見解が、認識の限界と発展だ。

この発展的認識論により相対主義が乗り越えられた。

2.非在・有の相互転移の統一的理解

ヘラクレイトスのすごいのは、アナクシメネスの空気=根源論を解決するために、時間軸の導入によってゼロの概念を生み出し、これにより非在から有が生成されることを説明しようとしたことだ。

実数としてのゼロの概念は、時間軸上においてはごく当然のことだ。すなわち今がゼロであり、未来と過去に向かって正の数直線と負の数直線が伸びていく。

これに対し他のベクトルにはゼロはない。ゼロがあるとしてもそれは相対的なものでしかないし、個別的なものでしかない。

日本橋やオリンポスは、信じる人間にとってのみ中心である。

ところが、今という瞬間をどんどん薄切りにしていくと、だんだん向こうが見えてきて透き通ってくる。

そうして最後は、何もなくなってしまうのではないか、しかしそこには物事が変化していくエネルギーというものが残っているはずだ。それはパンドラの箱の最後に残された“エスペランサ”(希望)だ。

そこでは、非在は希望というエネルギー、すなわち、さまざまな原子のベクトルの集合に転化されているはずだ。

3.非在は証明されなくてはならない

しかしこのような「非在」をめぐるわかりにくい議論は、どこかで終止符が打たれなければならない。

それが物質存在の階層性である。ヘラクレイトスは時間軸の特殊性を強調することで、物質の構造性とリアリティを否定しようとした。

それは頑固な唯物論者の強烈な反撃を呼んだ。そこでデモクリトスが登場し、原子論を提唱することで妥協を図った。モノは消滅しない、しかしそれはアルケーとしての存在の在りようを変える。
原子は単純な妥協ではなかった。

(つづく)