話せばちょっと長いのだが、腕時計の電池が切れて近くの量販店に交換に行ったのだ。
「すぐ出来ますよ」と言われて、要はその間近くで待っていろということだ。
なるほど、量販店のカウンターのそばは、何かと手に取りたくなるようなものが並んでいる。飽きないといえば飽きないのだが、ついいろんなものを買わされてしまうことになる。電池とか懐中電灯とか、USBやスマートホンの小物とかである。老眼鏡や安物時計も目に飛び込んでくる。
なかでも私は、むかしの習性からか、CDやDVDのワゴンがあるとどうしても手にとってみたくなる。

「おっ!」と思わず声を上げてしまったのが、紙製のジャケットに入ったCD。なんと税抜き198円となっている。ワオっと飛びついて、一気に10枚をゲット。これで2200円だ。ひどいものだ。

と、ここまでが前フリ。

そこで買ったものの1枚がカラヤンとウィーンフィルのモーツァルト40番だ。ジャケットには録音が1960年となっている。
何回も再発を繰り返していて私もLP時代に二度買った。最初は中古で、最後は石鹸で洗ったがシャリシャリ・パチパチノイズはとれなかった。二度目はロンドンの名盤シリーズで1000円だったと思う。どちらにしてもシケた話だ。

それで盤の由来を調べてみた。
そうすると、どうも録音は60年ではなく59年らしい。59年の後半にカラヤンとウィーンフィルは半年かけて世界を一周した。日本でもあちこちで演奏したようだ。その出発前にウィーンでLP数枚分の録音を行って、今で言うプロモーションに使ったらしい。その1枚がモーツァルトの40番だ。

ネットで調べると、この盤を60年録音と記載したレコードが結構出回っている。ただしその場合は60年の何月にどこで録音したとかというデータはないので、多分59年録音盤を60年版と称して売っているだけのことだろう。

聴き比べてみると、時々クラリネットが勝手にコブシを入れるのだが、それが同じだ。

ということでこの音源の由来を調べているうちに、ネットで別の音源を発見してしまった。それが本日の主題であるフリッチャイの40番である。この録音は何月かはわからないが、同じ59年で、秋以降なことは間違いない。ムジークフェラインの大ホールでの録音だそうだ。おそらくウィーン交響楽団の秋の定期で振ったついでに録音したのであろう。

白血病になる前のフリッチャイはベルリンが本拠で、RIAS交響楽団を振ってカラヤンのベルリン・フィルと対抗していた人だ。それがわざわざウィーンまで出かけて他流試合の相手と録音を残すというのも変わった話だ。

ただこの録音についてはいろいろな思いがあったのだろうと思う。59年にこの40番を録音して2年後に同じウィーン交響楽団と41番を録音して、その次の年には亡くなっている。

まず考えられる理由は、死ぬ前にウィーンの楽団を振って40番と41番を冥土の旅の置き土産にしたかったのであろう。しかしその直前にカラヤンがウィーンフィルを振った40番が、世界のベストセラーになってしまったことが念頭になかったとは言えないだろう。

とにかく異様なまでの遅いテンポにまずは驚く。「疾走する悲しみ」どころではない。「匍匐前進」だ。

それでも第一主題はまだいいのだが、第二主題に入るともはやエンストでも起こしかねないテンポまで制動される。それというのも、第一主題がこのテンポでなければならないからだ。フリッチャイはそう主張する。そしてその主張は第一楽章の終わる頃には有無を言わせぬ説得力を持って迫ってくる。

ムジークフェラインでの録音にも拘らず音はデッド気味でマイクが近接している。それはポリフォニックな効果を生んでいる。これってセルの音作りじゃない?

そして終楽章のフーガに突っ込んでいくに従い、体中が音で満たされ、溺れていくような錯覚に包まれていくことになるのである。

この演奏を聞き終わってカラヤンをふたたび聞くと、なんとヘルベルト・フォン・チャラヤン(もちろん決してチャラくはないのだが…)

1959年における40番の、この2つのウィーン録音は、1970年のセルの東京文化会館ライブとともに、40番の演奏を語る上で欠かすことの出来ないものだろうと思う。(フルベン信者の皆さん、ごめんなさい)

蛇足だが、41番もすごい。ボディービル・コンテストに出場したモーツァルトという感じだ。ベートーベンの2.5番と言うべきか。
しかし第4楽章はぜひ聞くべきだ。「いいか悪いかじゃない。ジュピターを語るなら、まずこれを聞いてからにしてくれ!」と、フリッチャイが吠えているような気がする。録音は秀逸そのものである。グラモフォンがデッカに対抗してメラメラと燃えていた「リヒテルのチャイコン」時代だ。