関電・同和疑惑 年表

本当は「関電・解同疑惑」と書きたいところですが、いま出ている資料では確実とは言い切れないので、とりあえず関電・同和疑惑としておきます。

かなり調査報道も出てきてディテールははっきりしてきていますが、その割には全体像が見えないもどかしさを感じます。

NHKの記者は一生懸命やってますが、同和絡みの記述がタブーになっているようです。共産党の役割も取り上げられません。渡辺議員が共産党だとは一切書かれていないのです。

口火を切った朝日はもっとひどく、この件については最低です。毎日テレビと東京新聞が僅かに健闘しています。独立系の示現舎がかなり詳細にフォローしています。週刊誌の記事は使っていません。


10月23日  NHKニュースウェブ “関西電力は森山氏の「被害者」なのか?








1928年(昭和3年) 福井県大飯郡高浜町西三松で出生。

1949年 京都府庁に就職。その後綾部市役所に転職。綾部市役所では職員として勤務するかたわら、解放同盟の運動にも熱心であった。

1966年 高浜町で原発誘致に反対する署名が2300筆を集める。

若狭原発

1969年 

国が同和対策事業特別措置法を制定。「同和地区」を指定し、公営住宅の建設や道路の整備などを推進。

12月12日 国から関電に対し高浜1号機の設置許可がでる。翌年には2号機も許可が出る。

12月 京都府綾部市職員だった森山が高浜町役場に入る。浜田倫三町長の招聘によるとされる。浜田町長は、関西電力との固い絆が森山の力の源泉だったと証言。
『長年綾部市において同和行政に取り組まれていた森山栄治氏を企画室主幹に迎え、同和対策のスタートを切ったのである』(高浜町が発行した記念誌)
この異例かつ破格の待遇がどういう経過によるものなのかが不明である。町長が解同に弱みを握られ、押し込まれたという見方が最も素直だろうが。

1970年 森山、出身部落に部落解放同盟を組織、高浜支部を名乗る。県下最初の支部であったため、森山は福井県連合会と高浜支部の書記長となる。『部落解放年鑑』では、高浜支部の所在地は大飯郡高浜町西三松 森山栄治方と記載されている。

1971年 福井県の「客員人権研究員」に就任。2018年まで在任。 

1972年 福井県などに対する“過度な指摘”が問題とされ解同役員を退任(解同中央の声明)。
“過度な指摘”の内容 県の施設で人権大会と呼ばれる大会が開かれ、健康福祉部や県民生活部などの部長が勢揃いして森山さんの前にズラーッと並ぶんです。意に沿わないことがあると激高し、「1時間立たされたまま怒られた職員もいた」(県幹部)
その後も部落解放運動を押し付ける“糾弾”を繰り返す(これについての解同中央のコメントなし)。
1974年 高浜原発1号機の運転が開始される。

1975年 高浜町の収入役に就任。

1975年 「女性教員に対する糾弾」事件。女性教師が“差別発言”を咎められ糾弾を受ける。教員全員を呼び出し横並びにさせ、差別文書を回し読みさせた。“謝罪”を迫られた教師はショックから早期退職を余儀なくされる。解同中央は「解放同盟が関与した差別事件ではない」と弁明。

1977年(昭和52) 町長選に反浜田町長派の有力者が立候補を図る。解同の糾弾を受け脳卒中となる

4月 異例の早さで出世し町助役となる。月給は33万5000円で、町長より高かった。
【濱田倫三町長の議会答弁】給料について助役が高い、町長が安い、ということは別に当たってはおりません。その人の能力に応じて給料は支払われる。
関係者の証言:NHK取材による
「町長より力が強かった。森山を通さないと関西電力の仕事はもらえなかった」(地元の建設業関係者)
「話はすべて、森山助役に持って行った。『天皇』というあだ名が付いた」(別の建設業者)
「自分の気にくわない人をどう喝し、精神的に追い詰めた。商売が追い込まれた人もいた」(地元工事関係者)
「町に対して激高していた記憶があり、とにかく厳しい人だった。一方で二面性のある人だった」(地元関係者)

1978年(昭和53)

4月 関電から高浜町へのウラ金疑惑が浮上。町内の五つの漁協に関電からの「地元協力金」が町を通じて支払われた。浜田町長は報道後の町議会で、総額9億円を関電から受け取ったと明かす。
76年は10月に1億円、12月に1億5000万円、77年は6月に6億5000万円を受領。5漁協に計3億3000万円を支払い、残りを地域振興対策費などに計上した

4月 森山、中日新聞のインタビューにこたえる。「3、4号機の総工費は3500億円。仮に1%をもらったとしても、いくらになるか。全国的に原発立地が困難な中で、高浜町は進んで建設を認めているのだ」 森山が助役だった77~87年は、地元協力金などと呼ばれる電力会社から原発立地自治体への寄付金は約36億円に達した。

「原発反対福井県民会議」のアンケート調査。回答した町民の8割が問題の徹底究明や増設反対を支持。(問題は回答率だが…)

1979年

3月 アメリカでスリーマイル島事件が発生。高浜原発3、4号機の建設への反対の声が強まる。

反原発派の候補が町長選に出馬しようとしたが、推薦人だった元町議を説得し出馬を断念させた。

4月 町議選挙で渡辺孝さん(30歳)が、「もの言えぬ町政にもの言う議員を」のスローガンをかかげ、トップと2票差の2位で当選。初の日本共産党町議となる。
渡辺さんは高浜町で漁師の長男として誕生。中学卒業後、小浜市で旋盤工として働いていた。青年の勉強会で本格的に原発の研究を始め、立候補に至った。
高浜原発3、4号機増設をめぐり関電が寄付した「協力金9億円」の使途が大問題になる。共産党の渡辺町議は、関西電力からの寄付金が、役場関係者の個人口座に振り込まれていたことを突き止めた。
町はカネは個人口座に入ったが、それは漁協に3億7千万円、道路や港の整備に5億4千万円が使われたと説明。関西電力はこのほかにも、森山氏の助役在任中に28億円の寄付金を町に投じている。
渡辺町議
               渡辺孝 町議
1980年 「高浜の海と子どもたちを守る母の会」が集めた「増設に厳しい安全審査を求める署名」365人が署名。
“糾弾”が怖くて表立って『原発反対』とは言えないけれど、内心はそう思っている人が多かった(会の代表の談話)
1982年 「前衛」8月号に「<ルポ>原発のある風景」が掲載され、森山のやり口を紹介。
町政の実質的なボスは森山助役であった。彼は、かつて京都で味をしめた経験を生かし、自分の住んでいる町内の同和地区に組織した「部落解放同盟」を指揮し、誰かれ容赦なく糾弾を繰り返した。町議会までが町長・助役の脅迫に屈し、その親衛隊に成り下がっていた。
…自由にものも言えない空気が町を支配していた。町長・助役は、悪事のやり放題であった。
1985年 3、4号機の運転が開始される。

1987年(昭和62) 関電の幹部向けの「人権研修」の講師をつとめる。講義は毎年行われ、2017年まで30年にわたった。

5月 町助役を退職。関西電力の子会社「関電プラント」の顧問に就任。さらに原発関連の地元建設会社、メンテナンス会社などの顧問を歴任。

森山コネクション2

NHK特集の聞き取り取材
90年代から金品を関西電力の幹部に渡していたことが分かりました。
「上納金、盆暮れには必ず、最低100万置いとかないとダメなんです。森山の運転手が集金に来られる。受注額の数%と…」(高浜町の土木業者)
1996年 法務省人権擁護局より人権擁護の功績により感謝状を受ける。

1999年 町がプルサーマル計画を推進。計画の可否を問う住民投票条例の実現を求めて約2,100人が署名する。

2004年 美浜原発3号機で配管が破損し、噴き出した高温の蒸気で5人が死亡。

2004年 プルサーマル計画導入を推進し、反対派の今井理一町長と対立。

2005年 森山氏、町村合併50周年にあたり、30人の町政功労者の一人として表彰を受ける。町長は「過疎化が進んだが、原発誘致で難局を打開できた」と賛える。

高浜町予算

2005年 原子力事業本部を美浜町に移転。副社長以下、幹部クラスの社員を常駐させる。本部長代理だったのが今回辞任した八木誠会長で、このときから金品の提供を受けるようになった。
八木は出世を重ね、社長、そして会長へと上り詰める。その後任として豊松、鈴木も同じコースを登っていった。こうして原子力事業本部で、森山氏から金品を受け取っていた人物が、社内の要職を占めようになった。幹部たちが受け取った金品は急激に増加し、17年には年間1億円以上に達した。
2007年 原発警備会社「オーイング」の筆頭大株主となる。その後の12年間で10倍に売上を伸ばした。また顧問を勤めた建設会社吉田開発は、無入札による特命発注で売上を6倍に伸ばした。

2009年 福井県人権施策推進審議会委員に就任。18年まで務める。

2010年 任期満了に伴い、高浜町教育委員を退任。

2011年 福島事故。関電の原発は次々と運転を停止。4年連続で大幅な赤字に陥る。

2011年 高浜町議会、関電の下請け会社社長や関電社員を兼ねる議員が「高浜原子力発電3・4号機の再稼働を求める意見書」を議会で強行。反対したのは渡辺議員ただ一人だった。議会は「再稼働について、議会としての意見の一致をみました」と発表した。
ほかの原発立地自治体が、再稼働に向けた地元合意の難しさに直面する中、高浜町ではほとんど反対する声は上がりませんでした。

再稼働ための工事には、高浜原発だけで5,400億円あまりが投下された。森山の会社には少なくとも214億円が注ぎ込まれた。現地への資金投下はさらにエスカレートし、総額3億2千万円に上った。

国も原発が立地する自治体に対して、電源三法交付金を支払っている。1基あたり1,400億円に上る。こういったお金の流れというのが、地元の決定過程をゆがめ、特定の業者に集中的にお金が流れる仕組みを作っている。(NHK特集)

森山コネクション3

2017年 「オーイング」の取締役を退任。自宅を京都市から高浜町に移す。

2018年

1月 財務省国税庁金沢国税局の税務調査を受け、帳簿や資金の提供元や供出先が記されたメモが押収された。

2011年から2018年にかけて、関西電力の八木誠会長や、岩根茂樹社長、豊松秀己副社長、森中郁雄副社長らに、「原発マネー」とおぼしき3億2千万円を渡していたことが、明らかとなる。

2月 関西電力側から約1億6千万円相当を返還。

10月 内部調査委員会を結成。委員長の小林敬は元大阪地方検察庁検事正で、証拠改ざん事件で懲戒処分を受けて退官した人物。

2018年末 第一次内部調査報告。報告書には「お前の家にダンプを突っ込ませる」「お前にも娘があるだろう。娘がかわいくないのか?」といった恫喝の記録。
お茶を出した女子職員に「なんでいまドン!って置いたんだ。俺が部落の人間だからか! 差別だ!」などの事例。
MBSのインタビュー: 90年代に高浜原発の所長だった人物は、「あの人から1時間説教受けたらよくわかります。骨の髄までいかれます。もう2度と出会いたくない。
僕が言われたのは、『家に同和の人間を押し掛けさせる』みたいな話。なんか文句あるんやったら『同和をお前の家に動員かけるで』と脅す」
2019年

3月 90歳で死去。

9月27日 上記情報を朝日新聞が報道。各社が追随。
菅原一秀経済産業大臣は、記者会見で「言語道断。ゆゆしき事態だ」と語る。更田豊志原子力規制委員会委員長は、「まだそんなことがあるのか」「憤りを感じた」と語る。

10月2日 関西電力が記者会見。金品の受領を断ると土下座を強要されるなど、断れない力関係にあったと説明(さぞかし楽しい土下座であったろう。できるなら私も、懐ろに小判を押し込まれてみたいものだ)

記者会見での岩根茂樹社長の発言。(森山氏が)『わしが原子力を反対したらどうなるかわからんのか』といったことを相当強くおっしゃった。(当方としては)地元の理解活動が阻害されるということを恐れた。

10月4日 赤旗、国の電源立地地域対策交付金も同町の建設会社「吉田開発」と森山氏を通じて関電幹部に還流していたと報道(内容はちょっとややこしい)
金沢国税局の税務調査から明らかになったもの。森山は2011年以降、総額3億2千万円の金品を関電幹部らに手渡していた。この金は吉田開発が「手数料」として提供していた。吉田開発は町の公共事業5件を総額約4億5千万円で受注していたが、このうち3億7千万円は電源対策交付金から充当されている。
10月7日 部落解放同盟中央本部のコメント
森山氏は、1969年京都府綾部市職員から高浜町に入庁している。1970年部落解放同盟福井県連高浜支部が結成され、福井県内唯一の解放同盟支部の結成ということもあって、部落解放同盟福井県連合会も同時に結成されている。その結成に尽力したこともあって、森山氏は県連書記長(同時に高浜支部書記長)に就任。2年間書記長の要職に就いている。
2年で書記長職を解任されており、それ以後、高浜町の職員として従事するようになる。

10月9日 臨時取締役会が開かれる。八木会長と森中副社長、右城常務、鈴木常務、大塚常務が退任。

11月22日 資源エネルギー庁、電源立地交付金の約8割が原発向けだと認める。

11月22日 福井県が「調査報告書」を発表。県職員109人が同県高浜町の元助役から金品を受け取っていた。吉田開発が県から60億円の公共事業を受注していた。

11月22日 高浜町の特別監査の結果が報告される。森山が取締役だった警備会社「オーイング」が、20年間にわたり随意契約で580件、1億5千万円の町の業務を受注していた。また「吉田開発」も20年間で、少なくとも136件、約19億円の町の工事を受注した。