「上達と発達、そして自己形成」という三題噺。何かしら有り難そうでしょう。


フィードフォワードはフィードバックの一種

前野隆司さんの一番言いたかったことは、本の一番最後の部分にあるフィードバックとフィードフォワードのことだろうと思う。

フィードフォワードについて、自分なりに整理してみた。ここから先は前野さんとはなんの関係もない、例によって酒飲み話です。

フィードフォワードの見た目は、フィードバックと違って、トライアンドエラーの枝がない。その分、仕組みがかんたんだから、処理スピードも速い。

フィードフォワードはフィードバックとペアーで語るようなものではなく、むしろフィードバックシステムの一部というか、例外規定として語るべきものなのだろうと思う。

いわば天に向かって枝葉を伸ばしながら突き出した杉の木を、枝葉を取り払って逆さまに地面に突き立てたような恰好をしている。

つまり、一種の逆向きフィードバックのシステムだ。

フィードフォワードの2つの弱点

フィードフォワードには2つ弱点がある。

一つはフィードバックで治験を積み重ねて、前もって「順モデル」を作り上げなければならないこと。これにはそれなりの手間ひまがかかる。最悪の場合は、「順モデル」が出来ないままに終わることすらある。

一つは経験になかった状況が生まれた場合は、一度モデルをご破産にしてフィードバックをやり直さなければならないということだ。


順モデルの形成と、その形成過程

ただその場合、まるっきりの御破算というわけではない。前回順モデルを作ったときの経験は十分に役に立つ。努力しただけのことはあるのだ。

人は、順モデルを作る過程を経験したことで、Way of Thinking を身につけたのだ。ここにモデルづくりのもうひとつの意義がある。

ここで私の主張の1つ目が出てくる。

順モデルの形成は、即自的にはスピードアップを始めとする技の「上達」を意味する。一方、順モデルの形成のための知恵を身につけるのは自己陶冶であり、長い目で見て「発達」のための重要な柱となる。

かくのごとくして、フィードフォワードと発達、自己形成の実践課題が一体のものとなってくる。


フィードバックがいらない2つの場合

フィードフォワードは前もって成功モデル作りの準備が必要だが、その作業は教育により代用できる。

良いコーチがいればフィードバックによる習得過程は大幅に短縮できる。場合によってはジャンプ・スルーできる。

AIの場合もスキルの習得は短縮されるが、教育の場合とは仕掛けが違ってくる。

それは最初からフィードフォワードのシステムとしてプランニングされている。そこにさまざまなフィードバック型の治験を押し込んでいくのだ。

これについては、この記事の中では触れないでおくことにする。


上達のモデルとフィードフォワード

これは別にどうという話ではないが、付け加えておきたいことがある。

前野さんは運動技能の上達に関わる神経系が小脳と書いている。これは明らかに間違いであり、基本的には頭頂葉と書くべきである。

運動技能は明らかに視覚系のシステムに依存している。座頭市や盲目のピアニストなどがいるが、おそらくバーチュアルな視覚機能を用いているのだろうと思う。

運動技能の習得はたんなる視覚ではなく動画的把握が求められる。動画的把握というのは、対照が何処から何処へどのくらいのスピードで移動するのかの把握である。

この動きを動画記録して、記憶装置に入れ込む。そしてこれに応じて身体反応の動きも把握することになる。

これが運動イメージとなる。小脳はこのイメージを受けて筋肉への割り振りスピードの調整などを行う。

こういう大脳頭頂葉と小脳の協調が運動の熟練やマスターの内容をなす。これほど広範な各システムの連携だから、逆に言うとかなり広範に応用が効くのである。

こういうフィードバック→フィードフォワードの繰り返しは、人間の成長の営みを形成する。

一つの行為は積み重なることによって実践となる。それは基本的には多くの人間に共通するのだが、営みではあるが、その組み合わせや頻度は各個人によって異なったものになる可能性がある。

これが能力の発達に伴う個性の発現につながり、Ways of Thinking が Way of One's Life へと収束されていくのではないだろうか。