私がギリシャの自然哲学をまとめて勉強したのには理由がある。
それは前野隆司さんの「脳はなぜ心を作ったのか」という本にたいへん心惹かれたからである。
私のブログを読んでくれている人には分かってもらえると思うが、私は「三脳原基説」を唱えている。
別に独創的な考えではないが、大脳から脳を考える逆立ちした発想に我慢がならないのだ。とりわけマクリーンの「辺縁系」理論にはムカついてしまうのだ。
脳科学者と称する人の妄言にも鳥肌が立つ。あれなら能見正比古の血液型人間学のほうが遥かにマシだ。

脳の進化の歴史ははっきりと教えている。神経管の先端が膨らんで前脳・中脳・後脳を作った。
そのなかで前脳だけが神経内分泌の中枢と結合した。それが視床と視床下部だ。
ここで脳の知覚→運動の連鎖とこれに情動を結びつける「心」の働きが始まった。
だから情動そのものは大脳の発達よりも先行している、とも言える。

ただ「心」は、脳の発達に階層性があるのと同様に階層性がある。ここを知能と結びつけながら、前野さんはかなり掘り下げてた。
だから前野さんの言う「心」は、悟性とか理性とか知性という観念に踏み込んでいる。

だから、こちらにしっかりした「心」の範疇や概念がないと振り回されてしまうなと考えたのである。
哲学に観念論を持ち込み思考をストップする人々との戦いは、むしろ哲学の外の場で争われてきた。この闘いに頭はいらない、必要なのはガッツだけだ。

しかし議論の場に密かに唯名論を持ち込み相対主義の混沌に引きずり込もうとする手合に対しては、厳しい頭脳戦が求められる。
そこで私は、イオニア学派の自然哲学を大づかみにして、自分の座標軸を据えようと考えた。

前野さんのこの本は2003年の出版だ。私は16年前の前野さんに出会ったことになる。そのころの彼はきわめて颯爽としていた。

最近の前野さんの著作を題名から推察すると、もはやその辺の「脳科学者」に成り下がっているようだ。茂木某などの手合にもてはやされて逆上せ上っているのだろうか。日本という国の文化的貧しさの犠牲者かも知れないが、無残である。大変遺憾に思う。