イオニア地域の形成の時代

紀元前1050年頃 ギリシャ本土からイオニアへの植民が始まる。

776年 オリンピア競技会が始まる。

750年 ギリシャ各地にゼウス信仰を共有する都市国家が成立。

750年 イオニアから地中海・黒海沿岸への植民が盛んになる。市場経済を基礎とする飛び地型都市社会が次々に出現。

750年頃 ギリシャ語のアルファベットが成立。ギリシャ文字は紀元前800年代にセム語系のフィニキア文字から案出された。

前730年頃 ギリシャ語で書かれたホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』が成立。

前700年頃 詩人ヘシオドス、勤勉な労働を称える『仕事と日』と神々の系統に関する「神統記」を著す。ヘシオドスとホメロスはカルキスにおいて詩を競ったとされる。


自然哲学の開花の時代(前古典期BC657年~508年)

前660年頃 ギリシャ各地で立法者・僭主の時代が始まる。

前639年 ソロンがアテネで生まれる。

前624年 タレースがイオニア地方のミレトスで生まれる。

ミレトスで自然哲学が始まる。宇宙を構成する物質の根源(アルケー)を探求し、それが水であると指摘。タレス自身の著作は残っていない。

621年 アテネでドラコンによる立法が始まる。貴族政治が崩れ始める。

600年頃 アテネで中小農民の債務奴隷化が進行。

紀元前594 メガラとの戦いに勝利したソロンが、アテネの執政官に選ばれる。「ソロンの立法」により民主制の基盤が定まる。制度設計はイオニアに範をとったと言われる。

その後ソロンは後継者ペイシストラトスに対抗しキプロスに追放される。

500年代 ペイシストラトス(もしくはその子のヒッパルコス)が、『イリアス』や『オデュッセイア』を文字に写し、アテネに紹介。今日の形にまとめられたのは紀元前2世紀のアレクサンドリアとされる。

前582年 ピタゴラスが生まれる。万物の根源は数であると主張。移住先のシチリアでピタゴラス教団が設立される。

前561年 イオニアの諸都市、リディアに征服される。

前560 クセノパネスが、イオニアのコロフォンでうまれる。ヘシオドスやホメロスを攻撃したことで知られる。存在するものの構成要素は4つであり、世界は数において無限である。神の本性は全体が知性であり思慮である。魂は気息(プネウマ)である。

前560年 アテネでペイシストラトスの僭主政治が始まる。独裁制のもとで土地の再分配を実施。

前550年頃  ミレトスのヘカタイオスがうまれる。ホメーロスなどの信頼性は認めるものの、神話と歴史的事実とは区別して考えた。

前546年 ペルシャがリディアを併合。イオニアの諸都市もペルシャの支配を受ける。

前544年 ヘラクレイトスが生まれる。「万物は流転する」とし、「万物の根源は火のように絶えず変転し、エネルギーを生み出す」と説く。

前538年 イオニアのサモス島で、ポリュクラテスの僭主政治が始まる。

前507 アテネでクレイステネスの改革。僭主ヒッピアスを追放し貴族階級を解体。全市を10区(デーモス)へと再編成する。さらにオストラシズム(陶片追放)と呼ばれるリコール制度を創設することで独裁の復活を阻止する。民主政のもとで、人間と社会、国家(ポリス)のあり方に哲学的関心が向かう。


イオニア文明の衰退とアテネへの移動(古典期BC490年~404年)

前500年頃 クセノパネスが活躍。

紀元前499年 イオニア諸都市で、ペルシャを後楯とする僭主への反乱が勃発。50年に渡るペルシア戦争が始まる。

前497年 ピタゴラス、異端とされシチリアを追放され死亡。

前494年 イオニアの中心都市ミレトスがペルシャに占領される。多くの哲学者がアテネへと逃れる。

前490年 ペルシャがエーゲ海に進出、ギリシャへの遠征を開始。50年間、4回にわたりギリシア遠征を繰り返す。

前490年 マラトンの戦い。第三階級である農民階級が、鎧や盾などを自弁。重装歩兵団の密集戦術(ファランクス)によってペルシアの騎兵隊を撃破する。

前485年 プロタゴラスがトラキアで生まれる。アテネで授業料を取って弁論術を教授。最初の成功したソフィストとなる。

他にゴルギアス、アルキダマス、プロディコス、ヒッピアス、エウエノスも活躍。
「人間は万物の尺度である」とし、絶対的な真理は存在せず、価値は人間=個人によって異なるという相対主義を主張。

前484年 小アジア南岸のイオニア植民市でヘロドトスが生まれる。

前481年 アテネを盟主とするギリシャ31カ国連合が成立。

前480年 ペルシャが二度目の進攻。テルモピュライの戦いでレオニダス王ら300人のスパルタ兵が壊滅される。

前480年 アテネがサラミスの海戦で勝利。無産階級が三段櫂船(ガレー船)の漕ぎ手として勝利に貢献する。

前479年 プラタイアの戦い。ヘラス同盟軍がペルシャ軍を撃退。このあと大規模な戦闘はなし。

前478年 アテネを盟主とするデロス同盟がペルシャ戦を継続。盟主アテネはギリシャ諸国家内において最盛期を迎える。アテナイの全市民(男子)が民主制のもとで平等の参政権を持ち、雄弁が力の源となる。

アテネはギリシア各地から人びとが集まる。イオニアのアナクサゴラスがアテネに移住。自然哲学を持ち込む。イオニアやシチリアなどからおおくの雄弁家が集まり、弁論の作法を教えるようになる。

前469年 ソクラテスが生まれる。

前460年 デモクリトスが生まれる。最後の自然哲学者として「万物の根源は原子であり、一定の法則によって動いている」と主張。

前5世紀中旬 

前449年 ペルシャ戦争が終結。ペルシャ、ギリシャ支配を断念。カリアスの和約を以ってペルシャ戦争が終わる。

前446年 スパルタとアテネ、「30年の和平条約」を結ぶ。アテネのペリクレスは戦費を私物化し、パルテノン神殿の建設を開始。

前444年 アンティステネスが生まれる。ソクラテスの高弟となる。袖なしの外套のみを纏い質素な生活スタイルで有名。ソクラテスは「外套の隙間から君の自惚れが見える」と非難した。

前440年 ヘロドトスが『歴史』を著す。生涯の内にアテネ、ウクライナ南部、フェニキア、エジプト、バビロニアなどを旅した。

前431年 ペロポネソス戦争が始まる。30年にわたり断続的に続く。アテネは衰亡の道に入る。

430年 疫病が蔓延し、両軍兵力の三分の一が死亡。アテネの指導者ペリクルスも病死する。

評議会にデマゴーグ(煽動的民衆指導者)が出現し、国策が歪むようになる。ソクラテスは「衰退の要因は相対主義を主張するソフィストにある」と批判。

前430年 ソクラテス、ソフィストを相対主義の詭弁家とし、徹底したディアレクティケ(ディベート)によって真理を追求。

プロタゴラス、『神々について』を著す。「神々について私は、あるとも、ないとも、姿形がどのようであるかも、知ることができない。(なぜなら)人間の生が短く、知るには障害が多いから」としアテネから追放される。

ソクラテスの影響を受けたアルキビアデスがアテネの権力を握る。非民主的なやり方で市民の反感を買う。

前423年 アリストファネスは「ソクラテスが最もあくどいソフィストだ」とからかっている。

前421年 スパルタが戦争に勝利。ニキアスの和約を結ぶ。

前415年 第二次アテネ・スパルタ紛争。一旦収まったペロポネソス戦争が再燃。戦いはペルシャの支援をえたスパルタの優位で推移する。この間アテネは同盟都市の多くを失う。

前412年 ディオゲネスが生まれる。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。

前411年 アテネで寡頭派が革命を起こす。「400人支配体制」が成立。

前404年 アテネがスパルタに降伏。ペロポネソス戦争が終結。アテナイにはスパルタの意を汲む「30人僭主政治」が樹立される。

前403年 シチリアのディオニュシオス王が全島支配を実現。

前399年 アテネで内戦の末独裁政権が崩壊し、「民主制」が復活する。

前399年 ソクラテス(70歳)は民衆裁判所で裁判にかけられ殺される。ソクラテスは非民主制であるスパルタを礼賛したという。

「悪法も法である」と言ったとされるが、悪法は、厳密に言えば、法ではない。

前395年 スパルタへの反感が強まる。コリントス戦争が開始。

前387年 プラトン、アカデメイアを創設。「プラトンの名において」イオニア自然哲学との決別を宣言。ディオゲネスはイデアを否定。「私は馬を見るが、“馬なるもの”を見ることは出来ない」と批判する。

前387年 コリントス戦争がアテネ=テーベ連合の勝利に終わる。小アジアやキプロスのポリスはペルシアの支配に入る。その後もギリシャのポリスは内紛を繰り返し衰微していく。

前388年 プラトンがシチリアに渡る。

前356年 マケドニアでアレクサンドロスが生まれる。

前338年 カイロネイアの戦い。マケドニア軍がアテネ=テーベ連合を撃ち破る。