プラトンの思想を眺めていてふと感じたのだが、ソフィストというのはなにか詭弁を弄するやくざ者のように扱われているが、それは違うのではないかということだ。

むしろプラトンは、ソクラテスもふくめたソフィストたちの理論をある意味で集大成したのではないかと考えた。

というのはイデア論の最後に付け加えたパルメニデスの議論が、非常に精緻なものであることに気づいたからだ。

調べてみるとパルメニデスはソクラテスに先行する哲学者であり、その議論はプラトンのイデア論の枠組みには収まりきれない広がりがある。

こういう人々がたくさんいて、それはソクラテスやプラトンにとって心安らぐような仲間ではなかったかも知れないが、そういう星雲状況の中から、それこそ「対話」を通じて、プラトンの著作=イデア論が析出してきたのではないだろうか。

それを思いついたのは、以前勉強した「六師外道」のことを思い出したからだ。


「六師外道」は、釈迦とおよそ同時代にマガダ地方あたりで活躍した6人の思想家たちのことだ。彼らは既存のバラモン教に対する批判者として立ち現れた。

しかし彼らの思想は釈迦によって批判された。

「ある人は、霊魂と肉体とを相即するものと考え、肉体の滅びる事実から、霊魂もまた滅びるとし、…業を否定した」と。

つまり「六師外道」は素朴なアニミズムに対する否定として登場したが、釈迦は「六師外道」を素朴な唯物論として否定し、あらためて原始宗教を「観念論」として止揚したことになるのかも知れない。

このような「六師外道」と釈迦との関係をソフィストとソクラテス・プラトンとの関係に比定する作業は、なかなか面白そうな課題になるのではないだろうか。

また同じことは春秋戦国の時代についても言えるかも知れない。小国分立状況がこのような思想の百花繚乱をもたらしたのだろうか?

といっても自分でやるほどのガッツも時間もない。とりあえず、提起だけしておく。