ヘーゲルとの関係で、プラトンの「イデア論」との類似性が気になり調べた。

究極の真理としてのイデア

プラトンにおける究極の真理は「イデア」と呼ばれる。

普通英語でいうと、「理想」という意味になるが、「イデア」論と言われるのは「理想」とはちょっと違い、さらに抽象的なものである。わかりやすく言うと「本質論」であり「真実論」である。ヘーゲル風に言えば「絶対知」である。

プラトンは、師ソクラテスがソフィストの相対主義を克服し絶対的な真理の探究を押し進めたことを高く評価した。絶対的な真理を求める哲学は、思弁哲学と呼ばれる。それは「普遍的な真実の世界」を、感性ではなく思弁によって認識しようとする哲学である。

イデアをもとめたきっかけ

師ソクラテスを理不尽な形で失ったプラトンは、民主政治という衆愚政治に代わる「理想の国家」をもとめた。まさにイデオロギー国家だ。

それを思索する上で「理想とはなにか」を解き明かす作業が始まる。最初の手がかりは、「イデアとは、人間には知りえない本当の知の実体である」というソクラテスの教えであった。

独自のイデア論の構築

しかしそこに至るには「因果関係」や「構造論」、「実体論」などいくつかの段階がある。
人間の認識という行為も、知覚から始まり認知、把握、了解、理論化などの段階を踏むことになる。

また裸の「本質」と価値判断や力動をもふくんだ「真実」の違いも論じなければならない。つまり範疇論、認識論、価値論を含んだ論証を行うための学問的方法論が必要となる。

本質論と不可分の認識論: 弁証法

プラトンはその論証方法として、師の対話法を継承、発展させて「弁証法」という論理を組み立てた。

逆証明の過程を導入することで、論理のステージを引き上げ、観察と三段論法にだけ依拠する自然哲学の経験論を批判的に乗り越えた。

このようなプラトンの考えを、弟子のアリストテレスはイデア論として定義した。

存在と非在の弁証法 究極のイデア論

イデア論とは別の地平で、存在と非在の弁証法が語られていて、このくだり新プラトン哲学の典拠になっているようだ。

『パルメニデス』という本に書いてあるらしい。

「存在、非存在、現われること、静、動、等々の全く抽象的な諸規定をプラトンは純粋なイデアとみなした
とあるが、これはソフィスト仲間の論争に対する介入であろう。ヒントにはなるかも知れないが、しっかりした論建てとは思えない。

『ピレボス』という本には以下のような言及もあるらしい。かなり意訳して紹介すると…

真理は対立した物の同一性である。それは現象・悟性・概念・原因(本質)である。
そこにおいて真理は一体性の表現であり、主体性の表現であり、支配力の表現であり、構造の表現である。