もともと長い論文を読むのは苦手なのだが、最近視力の低下、集中力の低下が相まってますますその傾向が強まっている。
だから、たいへん荒っぽいものの言い方になってしまうのだが、赤旗「論壇時評」に載った、たった数行の記事が頷かせるものがある。
山口二郎さんが「野党+市民共闘が拓いてきた道、これからの道」(季論21)という文章の中で言った言葉なのだが、評論者の堤文俊さんの紹介が的を得ていると思う。

いま「共闘」にとって大事なことが2つある。
一つは「方向性の共有」だ。
それは「ゴールは違っていても中間点までは一緒に」という意思の共有だ。
第二は、市民の側にあるのだが、共産党を受け入れることを “あたりまえの政治風景” として受け入れることだ。それは反共主義の最終決算だ。

この2点は、共産党がずっと戦略的課題としてきたことだ。時の政府や権力が振りかざす反動的挑戦に対しては、たしかにその都度 “共闘” してきたが、それはついに明日に向かっての共闘へとは発展しなかった。

ある程度の政策的合意を形作らなければ、長期的な共闘はありえない。未来に向かっての共闘、これこそが真の共闘であり、それが今や実現し始めた。ただし時間の余裕はない。闘う人そのものが今や絶滅しつつあるからだ。

もう一つ、それは「旧社会党・総評的な勢力との合意を経てより広い合意を形成する」という従来型戦略によっては不可能である。それは市民的な合意をの中でマルチラテラールに築き上げていくしかないということだ。

それが気が遠くなるようなすり合わせと実践の過程を経て、ようやく形になろうとしている。そういう地点に我々は到達しつつあるのだ。

日本における共闘というのは、見かけ上は共産党と市民運動、それに連合+社会民主党の3つのグループの共闘だが、運動論的には共産党と市民の共同による「連合」の包囲と攻略なのだ。

それを市民の側からはこう表現しているのだろう。