医療史から見た戦後期の予防接種法と結核予防法の研究
Historical Research of the Preventive Vaccination Law and the Tuberculosis Preventive Law
issued in post 2nd World War Occupied Japan 

研究代表者 渡部幹夫

BCGの有効性(費用対効果)問題は未だに結論がついていない。ついていないがまだ続けられている。論理的、倫理的にはもはや結論を出すべきときと思うが、結核撲滅に命をかけた人々の“亡霊”がそれを妨げているようにも思える。
これは臨床医を長く勤めた研究者による過不足のない論文(の抄録)で、物事を考える上での参考になると思う。


1.研究開始当初の背景

(1)「医療史」という括り

医学の臨床と医療制度の間には大きな哲学の違いがある。しかし、それぞれの領域が独自の哲学で対応してゆける時代ではなくなった。
このことを「医療史」という括りで、社会史として検討することを試みた。

(2)結核予防法と予防接種法

結核予防法と予防接種法は、戦後期被占領下に大きな改正が行われた。それはその後の日本の保健予防行政の中心をなした。
今回はこの二法を医療史研究の中心とする。

2.研究の目的

(1)GHQおよび日本側当局はよくやったのかも知れない

GHQおよび日本側当局は、第二次世界大戦後の劣悪な状況の中で、保健衛生の改善を迅速に行なった。その努力は評価されてよい。 

しかしその施策の中に、現在の保健・医療・福祉の問題と関連する歴史的な事実が多数存在している。
これらについては、戦後期の法体系の成立過程や、国民の受容過程を知ることが必要であると考えられる。

(2)世界で最も強力な予防接種法

日本では被占領下に、世界で最も強力な予防接種法が成立施行された。それは接種事故など多くの問題を起こしてきた。
この予防接種法について、成立過程を明らかにすることが必要である。

(3)結核予防法の改正

戦後占領期には結核予防法が全面改正された。この時期は、結核が国民保健をめぐるビッグイシューを占めた。その故に、当時からその法制度や医療をめぐる議論が活発であった。

なかでも現在もなお議論のあるBCGの接種問題や、法による結核管理について研究目的とした。


3.研究の方法

(1)一次資料

日本の資料として医学医療関係の資料および日本学術会議資料、新聞資料等を参考とした。

GHQ側の一次資料として、国立国会図書館公開のGHQ/SCAP文書を材料とした。

(2)GHQ/SCAP文書

GHQ/SCAP文書としては、① Tuberculosis Control、② BCG Immunization
 Japan の2つを対象とした。

(3)医学的資料
医学的資料は、昭和28年から昭和48年のにわたる結核実態調査報告書(一次から五次)と結核統計総覧(結核予防会編)により研究した。

4.研究成果

(1)BCG論争の総括

昭和26年、新結核予防法が施行され
た。この法律は国民健康保険制度のない時代の国民に非常に歓迎された。

しかし、結核の予防接種としてBCGが法で義務付けられたことから、いわゆる「BCG論争」が医学界、国会、行政、言論界、報道メディアで起こった。

論点は二点に集約できる。
① 結核に対する予防効果が確立していない。法による強制接種は望ましくない。
② 副反応の頻度が高く、無害とは言えない。

社会保障制度審議会と日本学術会議は、この二点から強制接種に反対の立場をとった。
結核予防会及び結核予防審議会は推進の立場をとった。
GHQは接種推進を明確にしたが、厚生大臣は強制接種に躊躇した。日本医師会の態度は不明確である。

この論争は、衆議院厚生委員会のBCG接種推進の決議と厚生大臣の辞任により政治的に終結した。

この論争を通じて問題点も明らかにされた。乾燥ワクチンの不確実性や接種の方法などである。
これについては昭和27年から、BCG接種研究協議会が組織され改善がはかられた。

医学的論争を社会が共有することにより日本の結核医療の体系は「社会的な認知」を得たように思われる。

(2)論争の政治的背景

占領下においても国民の健康についての議論は活発に行なわれた。背景には保健・衛生・福祉予算をめぐる政治的問題があった。
特に厚生行政においてはGHQと日本の学術界を含む状況が反映していた。
結核死亡率推移
その後の五次にわたる結核実態調査では、結核の死亡率の低下は著しい。法律の寄与(ストマイ治療の普及、三者併用の導入など)は明らかである。
患者数は正確な数を掴むことができない。したがってBCGの寄与については確言できない。

(3)旧予防接種法の問題点

予防接種法成立期のGHQ/SCAP文書から、戦後期の日本の防疫上の困難と当時成立した旧予防接種法の問題点が明らかとなった。

昭和23年に成立した予防接種法について、その制度の成立期の問題とその後の問題を研究した。

占領下に成立した予防接種法は、GHQ/PHWにより法制化された。それは極東米軍の軍事的方針によるものであった。
それは日本製ワクチンを広い範囲に、多くの疾患に対して強制接種することを目的とするものであった。

予防接種を嫌がる意識は世界に存在する。また予防接種は科学的に解明されない部分をふくむ医療行為である。

この点で、日本の法制定及びその後の歴史を研究して気づくのは、① 予防接種の慎重接種の考え方の欠落、② 予防医療政策の転換がつねに遅れる傾向である。

1988年 厚生科学研究報告書「世界各国の予防接種対策・特に健康被害救済制度に関する研究」では、この点を強調して下記のごとく著している。
予防接種が法律で義務付けられている国は少なく、日本のような制度を設けている国はほとんどない。

日本では終戦直後に大量の復員兵や帰還者が入国しており、感染症の爆発的な発生が認められた。
チフス
つまり旧予防接種法は、いわばMPが強制的にDDTを頭に振りかけるのと同じ発想だ。牛豚を消毒するのと本質的な違いはない。

しかし、大量帰還は47年末にはほぼ終結しており、感染症は持ち込まれたが拡散せず、そのまま収束に向かっている。すでにこの時点で、これら疾患に対する予防接種の必要は失われている。

(4)著者は結論を慎重に回避しているが…

論文の性格上からか、論文は論争に黒白をつけるのを控えている。しかし文末に以下のような感想を載せている。
英国に滞在して、予防接種やワクチンの安全性に対する社会の対応が、英国では非常に鋭いと感じた。日本との意識の違いは明らかである。