結核の歴史 年表

BC8000 インドやイラン、中東でウシの家畜化が始まる。人型結核菌は牛の結核菌から感染、変異したとされる。

BC7000  イスラエルの人骨(女性と子供の 2 体)から人型結核菌の痕跡が発見された。

BC3000頃 中国・上海の広富林遺跡で出土した女性人骨から、結核発症の痕跡を発見。

BC600  古代エジプトの一ミイラの肺、胸膜、横隔膜、大腿骨から結核菌の細胞壁マーカーが検出された。

AD200頃 鳥取の青谷上寺地遺跡で、弥生時代後期の人の背骨に結核の痕。縄文人に結核菌が見つからないことから、弥生時代に渡来民とともに伝来したと考えられる。

735年 天然痘が筑紫で発生。急速に東方に伝播する。

1510年 梅毒が広東方面から琉球を経て伝来。1~2年で全国に拡大する。

1008年頃 『源氏物語』に、紫の上が胸の病を患い、光源氏が悲しむ記述。

1864年 江戸日本橋の開業医、本間玄洞が内科秘録を発表。1年半で55名の結核患者を診療。その多くは20~40歳で人の集まるところに多発する傾向だとする。

1882年 ロベルト・コッホが結核菌を発見。

1890年 ロベルト・コッホが結核菌の産生するツベルクリン抗原を発見。結核治療目的に開発されたが効果はなかった。

1899年 日本で最初に結核に関する統計調査。人口1万人あたりの死亡者数は15.29人であった。

1907年 ピルケは、結核菌感染者にツベルクリン抗原を経皮投与すると、遅発アレルギーが起こることを発見した。これがツベルクリン・テストのはじめとなる。

1913年 石原修が「女工と結核」を発表。女工の結核死は一般の約3倍と推計した(国家医学会雑誌)

1918年 結核死が史上最高の25.71人となる。諸外国と異なり、常に女が男をはるかに上回つていた。石原は、女工の結核死は一般の約3倍と推計した。

1921年 BCGが初めて人に用いられる。フランス・パスツール研究所のカルメットとゲランが作成したもので、牛型結核菌を13年間、231代継代して得られた弱毒株。BCGはBacille Calmette-Guerinの頭文字をとったもの。

1924年 志賀潔がBCG株の直接分与を受け、持ち帰る。乳幼児期のBCG接種は、結核の発症を52~74%抑えることができるとされる。

1934年 日本での結核患者数は131万5250人、全人口の2%に達する。結核死亡者は13万1525人に達し、うち 15 ~ 34 歳が64%に達する。この後都会では自然免疫の獲得(tuberculinization)により発症率が漸減。

1944年 ワクスマンらがストレプトマイシンを開発。

1947年 死因疾患ランクで1位となる。以後4年間、1位を続ける。

1950年 抗うつ剤として開発されたイソニアジドに抗結核作用があることが発見される。

1951年 日本で結核予防法が制定。BCG接種、結
核検診、化学療法の導入を柱とする。

1952年 ピラジナミドが臨床応用を開始。酸性環境にいる菌に殺菌的に働くが、毒性が強く使用されないままに終わる。

1961年 抗抗酸菌薬エタンブトールが開発されれる。

1961年 半合成抗菌薬リファンピシンが登場。新三者併用の多剤療法で9ヶ月で治療が可能となる。

1992年 WHOが世界結核非常事態宣言を発する。喀痰塗抹検査中心の患者発見,標準化された短期化療を柱とする。

1980年 結核の死因ランキングが10位以下となる。

1986年 米国で6ヶ月の短期化学療法を標準治療として行うように勧告。ピラジナミドの2ヶ月間併用により治療期間を短縮でき、再発を抑えられるとする。

1994年 WHOなどが監視下服薬法(DOT)を推奨。

1996年 日本で10年遅れて4者併用療法を採用。

2003年 BCG接種法が相次いで変更。小中学校でのBCGの中止、乳幼児でのツ半なしでの接種、生後1才までの接種延期など。

2005年 ツベルクリン反応検査が廃止される。

2007年 結核予防法が廃止される。感染症法に統合。