「論座」というネットマガジンがある。この9月5日号に大変有用な記事があった。

イエメン分裂、UAEの政策転換と孤立するサウジ」という題名で筆者は川上泰徳さん。中東ジャーナリストという肩書きになっている。古いことまで大変詳しい方だ。

とりあえず面白いところだけ紹介しておく。

8月にアデンで内戦があった。暫定評議会の部隊により政府軍が一時放逐された。
月末には一応奪還に成功したのだが、「暫定評議会」というのが何を隠そう、あの南イエメン人民共和国の生き残りなのだ。

前に書いた南イエメンの歴史は、最後は1994年だった。北イエメンが南に侵攻し、南イエメン人民共和国を滅ぼしたところまでである。

ところがそれが地下でずっと生き続けていて、現在の暫定評議会へとつながっているらしい。

94年の南北内戦で敗北した旧南イエメン勢力は、07年に南部運動(ヒラーク)を結成した。

指導部は旧南イエメン社会党のメンバーで、ビード書記長をトップとしている。このヒラークの軍事部門が南部暫定評議会、その議長がアイダルス・アル・ズバイディということになるらしい。

以前の報道で、南部で武装勢力といえばオマーンに近い一帯を根城とするアルカイーダだと教えられてきた。社会党のシャの字も聞いたことはない。

ヒラークのインターネットサイトがあり、そこで彼らの大義が主張されている。

川上さんによると、

組織の目的は、94年に「暴力的な抑圧」によって占領された祖国の「解放と独立」である。
その目的は「平和的な対話によって独立を達成する」と描かれている。

とにかくそういう組織を立ち上げ、13年ぶりに運動を再開した。しかしその後あまり目立った活動はなかったようだ。

それがイエメン内戦を受けてふたたび浮かび上がった。2016年サウジの支援を受けたハディ大統領は、アデンに入りイエメン政府を「再建」した。しかし手兵がいない。見回したところ目についたのが旧南イエメンの残党だ。そこで残党集団のリーダーだったズバイディをアデン知事に任命した。
さらに南部戦線を担うUAEは、ズバイディに民兵組織の結成を委託した。こうしてUAEの指導と援助で結成されたのが「治安ベルト部隊」だった。

私が考えたら、これはイスラムの代わりにマルクスを選ぶことであり、最悪の選択である。それならフーシ派に権力を明け渡したほうがはるかにマシだ。

1年でハディ大統領とズハイディ知事の仲は決裂した。ハディ大統領はズハイディをアデン知事から罷免した。

しかしUAEは武力勢力の指導者の地位を保全した。すでにUAE軍は多くの犠牲者を生んでいる。フーシ派と戦う上でズハイディ部隊の存在は、死活的重要性を握っていた。

こうなれば事態は圧倒的にズハイディ優位である。南イエメンから見れば北出身の「大統領」であろうと、その背後のサウジであろうと、少なくとも心の底では敵である。
UAEも同類みたいなものだが、武器援助してくれる限りではありがたい味方である。

こうしてズハイディは南部の分離独立を求める南部評議会を設立した。委員長のズバイディ氏を含め、5人の南部地域の知事が指導部に名前を連ねている。

つまり大統領とは対決構図になったが、UAEの手前、一応大統領の顔を立てるということだ。

それで1年ちょっとやってきて、それが突然、なぜ武力衝突になったのか。

それは19年の7月になって、UAEがイエメン南部に駐留した部隊5000人の大部分を撤退させたことにある。どうもUEAは戦争に嫌気が差したらしい。世界からこれだけ非難されれば当たり前だろう。

さらにホルムズ海峡が緊張してくると、尻に火がついてしまって他人の国どころではなくなってきた。

こうしてアデンに権力の空白が生まれた。誰がその空白を埋めるのか。ズバイディはいち早く仕掛けた。UAEのプレゼンスが期待できるうちが花だ。それがなくなればサウジとの直接対決になってしまう。そうなれば勝ち目はない。

結局そうなってしまった。

とりあえずはそういうことらしい。これに2幕目があるのかどうかははっきりしない。