勃興しつつある「信用市場」をマルクスがどのように描いていたのかを、ざっくりと知りたくて探していたら、下記の文献にぶつかった。

現代金融危機とマルクス理論
―マルクスの危機分析は現代に通用するか―
萩原 伸次郎  
『社会システム研究』 2009年3月

大谷さんたちの論文を読むときの息切れ感がなくて、とても読みやすい。ただこれらの叙述がマルクスの最終到達段階ではないことを念頭に置いておかなければならない。

まず最初の拠り所は、

第3巻第5篇「利子と企業者利得とへの利潤の分裂.利子生み資本」の第27章「資本主義的生産における信用の役割」である。

A 信用は流通過程を加速する。

この中の、<信用による貨幣の節約>という機能に注目ずる。
マルクスは、商業信用が基礎となって銀行信用に発展する際に、貨幣が3通りの仕方で節約されるという。

第1 取引の一大部分において、貨幣が全く必要とされなくなる。
第2 流通手段の流通スピードがアップする。
第3 紙券による金貨幣の代位

この結果、貨幣は(決済時以外には)必要なくなる。

つまり、流通過程を加速させることが信用の核心的意義である。

もう一つ、その派生的意義は(決済と次の決済の間隔が延長することにより)「投機」の隙間を生み出すことである。

B 株式制度は私的所有の一つの止揚である

信用は、個々の資本家に他人の所有にたいする絶対的な処分権を提供する。

しかし、それは無責任と投機を生み出す。

他人の所有にもとづく投機活動は大胆になり、大成功を収めるか、もしくは破産をもたらす。
「小魚たちは鮫たちにのみ込まれ,羊たちは取引所狼たちにのみ込まれる」

C 「資本還元=架空資本の形成」のメカニズム

流通過程の短縮、決済間隔の延長、他人資本の動員は「証券」あればこその働きであり、証券に価値をもたらす。これが貨幣市場の成立する理由である。

商品取引においては商品と貨幣が相対する。同じように貨幣市場においては貨幣と証券が相対する。それはともに貨幣資本の2つの形態である。

証券の価値はどのようなメカニズムで決まっていくか。
貸し出し資本に期待される利子によって決まるのである。

それは基本的には、平均利子率として計算される架空の価値である。
しかし実際には、それ以上に投機的な期待値として値付けされることがある。(というよりむしろそれが通常)

ついで証券の性格規定、貨幣資本との関係においてスケッチ的な考察がなされるが、いまいち明確な規定が与えられているわけではない。やや散漫な例証が続く。

D 貨幣市場と証券取引

素材的富が増えれば、自由に利用できる貨幣資本も増える。その中身も有利子手形、国債・公債・社債など債券、株式などに多様化する。

貨幣資本家階級数も増える。その構成部分は金利生活者たち、銀行業者たち、取引業者などである。しかしその多くは預託者であり、貨幣市場で主役を演じるのは投機取引を行なう証券取引業者たちだ。

金利生活者は銀行業者たちに貨幣資本を預託する。
銀行業者たちは、証券取引業者連中にこれら貨幣資本を大量に用立てる。
こうして賭博師の一味が激増していく。


ということで、マルクスは“貨幣資本の節約”ということで「信用」を特徴づけているが、これは貨幣世界を前提にして見た強引な世界観である。

同じことなのだが、それは貨幣の節約ではなく“使いまわし”である。資本家は貨幣を使い回すことによって貨幣の価値を高めるのである。それが結果として貨幣の節約効果をもたらすのだ。

もう一つの「流通過程の加速」という考えも、原因と結果が逆転している。貨幣資本の介在しない信用取引の世界がますます拡大することが本質であって、その結果として流通過程が加速するのに過ぎないのだ。

そして“貨幣資本の介在しない信用取引の世界”が、ある日突然自立する。それは貨幣量(バーチュアルルだが)が現実の市場の10倍にも達する世界だ。しかしそれは架空の世界だ。

「資本論」が本当に描かなければならなかったのはこの世界だったのかも知れない。しかしマルクスはその素材を残したと言えるのではないか。