ウィキペディアには、私の一番知りたい疑問「なぜ、日本語文献では加羅が表に出てこないのか、本当に加羅と伽耶は単なる言い換えに過ぎないのか」
についての答えがない。
そこで他の文献もあたってみることにした。

ブリタニカ→コトバンク

『三国志』魏志東夷伝によれば、古代の南朝鮮地方には諸韓国が分立していた。
そのなかで代表的なものは南北2国あり,
南がいわゆる「任那加羅」、または「金官加羅」である。

「広開土王碑」文に登場するのは「任那加羅」である。

532年、金官加羅は新羅に併合された。

北方の代表的な国は「高霊加羅」あるいは単に「加羅」とも呼ばれた。

562年、「高霊加羅」は残存の任那諸国とともに新羅に併合された。これが『日本書紀』でいう「任那の滅亡」である。

これは多くの本に載せられている経過である。しかしどうも、これがスッキリしない。

「または」とか「別名だ」というのだが、本当にそうなのだろうか。加羅=伽耶=任那とそうかんたんに言えるのだろうか。

マイペディア・世界大百科事典

マイペディア・世界大百科事典→コトバンクの表現は、より断定的である。

日本書紀の「任那」は諸小国の総称であるが、任那は本来金海加羅を指す。

以上のごとくであるが、これではまったく納得できない。中国の史書が一度ならず、これだけ明確に二つを使い分けているのに、それについて口をつぐんで、事実上同一視するのは歴史への冒涜とすら言える。

高校の教科書

山川出版社の教科書『詳説日本史』では、「
日本書紀では加耶諸国を任那と呼んでいる」と書いてあるらしい(世界史の窓」からの重複引用)。加羅ではなく伽耶と書いた理由は不明だ。もし加羅の言い換えであれば、これは不正確だ。少なくとも倭の五王のくだりでは任那と加羅はしっかり書き分けられている。