高久健二 「楽浪郡と三韓の交易システムの形成」
専修大学東アジア世界史研究センタ一年報 第6号2012年3月

学習ノート

紀元前2世紀初頭 燕の武将衛満が古朝鮮の準王を退けて衛満朝鮮を建てた。亡命漢人政権であり、前漢王朝の外臣として存続した。

衛氏朝鮮の成立後、青銅器、鋳造鉄器など燕の文物が持ち込まれる。

紀元前150年ころ 半島南部地域は三韓の勢力が残存。原三国時代を形成する。慶尚南道を中心に木棺墓の墳墓群が形成される。

紀元前109年 朝鮮王右渠が漢への入朝を拒む。

紀元前108年 王険城が陥落。漢は朝鮮半島に楽浪・真番・臨屯・玄菟郡の四郡を設置。
遺物の構成から見て古朝鮮=王険城=楽浪郡都=平壌及びその周辺と考えられる。

紀元前100年ころ 原三国地域とくに辰韓(嶺南、現在の慶尚道)で、八達洞遺跡、茶戸里遺跡、良洞里遺跡など。楽浪との交易拡大による。

紀元前45年 郡県の再編成を契機とし
て楽浪郡は発展期を迎える。「楽浪郡初元四年県別戸口簿」 によれば、この頃の楽浪郡の戸数は43,835戸に達する。

三韓諸国の首長層は外臣として取り込まれ、「臣」と自称する。前漢王朝への朝貢は支配者間の格差を拡大する。

紀元前l世紀中葉~後葉 北部九州で前漢鏡が護棺墓に副葬されるようになる。楽浪郡・三韓・倭を結ぷ長距離交易ルートが確立したと考えられる。

紀元後 2 年 『漢書』地理志によれば、楽浪郡の戸数は62,812戸である。

この論文の良いところは、三韓地域を3つに細分したことである。

三韓地図

短距離交易地域
楽浪と近接した距離にある京畿・嶺西地域(現ソウル周辺)である。馬韓との中間地域で、後に百済が興った地域である。

中距離交易地域
日本海側に位置する領域。現江原道。

長距離交易地域
弁韓と辰韓をふくむ地域で、嶺南地域(現慶尚道)と呼ばれた。
洛東江をさかのぼり、倭館からは険阻な小白山脈を越えて、南漢江を下って、京畿地域へと至るルートが想定され、特定の漢式遺物が集中的にもたらされたと考えられる。
なお馬韓地域(全羅道)には、この時期のものとして見るべき遺跡はない。