朝鮮半島の先史時代の時代区分が難しいのは、おそらく住民の人種的構成が変化するためではないか。
考古学的、遺伝学的に確認しうるような変化があれば、まずそこをメルクマールにしなければならない。
つぎに生活の糧の変化を見ていく必要がある。狩猟生活から狩猟+採集生活への移行が土器(調理及び保存習慣)の出現として表される。
それは半定住生活への移行でもあるから、竪穴式住居の出現としても示される。
それ以前の生活は旧石器時代とされているが、むしろ無土器時代というべきであろう。
長江文明を見ればわかるように、土器が出現し水稲栽培が行われるようになった後も石器そのものは旧石器が主体であった。
少なくとも稲作地帯においては、石器の改良は社会の進歩の主要な指標とはなっていない。

無土器時代(旧石器時代)の始まり

日本に最初に渡来したホモサピエンスはおよそ4万年前、朝鮮半島を経由して入ってきたと思われる。

そもそも出アフリカが6万年前なので、朝鮮半島への進出は6万年前~4万年前となる。

旧人たちの話については、とりあえずは触れないほうが良いと思う。
(旧石器時代の代表的な遺跡は50万年前に遡るとされているらしい)

無土器時代(中石器時代と新石器時代)の終わり

おそらく中石器も新石器も無意味な分類と思うが、韓国の学会の主流となっている。

ウィキペディア<朝鮮の先史時代>ではこう書かれている。

朝鮮の新石器時代(朝鮮語版)は約1万(中石器を含む場合)-8000年前から始まり、新石器時代の主要な指標となるものは、磨製石器と櫛目文土器に代表される土器である。

日本語版ウィキペディアでは、新石器時代を櫛目文土器時代と読み替えているが、これは誤解を招く。

新石器時代は約1万(中石器を含む場合)-8000年前から始まったとされているが、櫛目文土器の出現するのは6千年前以降である。つまりそこには4千年の時差がある。

櫛目文土器時代(第一次遼河文化時代)

最古の櫛目文土器は遼河文明から発見された。6千年前(紀元前4000年)に遼河地域を原郷にしてユーラシア大陸北部に拡大したと言われる。

ところで「朝鮮半島では紀元前4000年以降に初めて現れる」とされているが、瞬時に半島全体に広がったということだろうか。

伝播様式も不明だが、朝鮮先住民がこれを受け入れたか、あるいは遼河文明人が南方に進出したかのいずれかであろう。

何れにしても、縄文土器のように内発的に発生したものではなく、輸入文化に過ぎない。それだけの生活様式の変化が先行していたのかは疑問である。

鬼界カルデラ噴火との時間的関係

約7,300年前の鬼界カルデラ噴火はアカホヤ火山灰を降り積もらせ、九州南部の縄文文化を壊滅に追い込んだ。

問題は、この時点で朝鮮半島は北方の遼河流域に至るまで無土器文化=狩猟生活のレベルにとどまっていたということである。

もし朝鮮海峡を挟んで人や文化の流れがあったとすれば、それはどちらを向いて流れるだろう?、答えは明らかである。

この後、日本側の文化が衰頽し、半島側の文化が急発展したとすれば、櫛目文土器の逆流入はありうるのだろうか。

曽畑土器は縄文前期後半(紀元前4千年~3.5千年)とされ、櫛目紋土器の影響を受けていると言われる。

櫛目文文化が遼河流域から本流のように広がり、土器文化の大先輩である日本まで接近したということになる。まるで推理小説の種明かしだ。

無文土器時代(第二次遼河文化時代)

紀元前1500年頃、北方の遼河流域から北朝鮮にかけて始まった。

農耕のほか、漁労、狩猟、採集が行われた。大型の長方形の竪穴住居からなる集落が形成された。

前期は紀元前850年まで、それから550年頃までを中期とする。大麦・小麦・雑穀などが栽培された。

中心となったのはこれまでより南方の松菊里文化( ソングンニ)だった。

南部では異なる文化が営まれるようになった。南岸地方で長江文明からの渡来人が水田耕作を開始した。

後期は紀元前550年から300年頃とされる。環濠集落や高地性集落が増え、争いが激しくなったことを示している。

無文土器の終末期

終末期(紀元前300年)には鉄器が出現し、青銅器が広範に普及する。

その後紀元前200年ころに衛氏朝鮮が建国され、紀元前100年後には漢により滅ぼされ、楽浪郡となる。この間、そしてその後も、朝鮮半島南部は「韓」として残される。

ということで、韓国の先史時代認識は、基本的に京畿道以北の古朝鮮(南満をふくむ)を念頭に置いていると思われる。三韓、後の任那・伽耶は朝鮮人嫡流とは認めていないフシがある。