岡村道雄 「日本列島の南と北での縄文文化の成立」 1997年より

抜書き+私流感想です。

II.縄文環境の成立と各地の人類活動

1.列島規模の自然環境の変化に関する概況

1)地形と気候など

1万5千年前 急激に温暖化。海水面は70mの上昇。
宗谷海峡(海深60m)は水没。北海道は大陸・サハリンと隔絶する。
朝鮮海峡が大きく開く。1万3千年前に朝鮮海峡から日本海にむけて対馬暖流の流れ込みが始まる。
まだ瀬戸内海は成立せず、関門海峡も閉鎖状態。
黒潮前線は1万年前には房総沖まで到達。親潮は東北北部に退いた。

感想
つまり、1万5千~1万年前にかけて日本周辺の気候は激変(温暖化)したのだ。
1万9千~1万7千年前の最終氷期から一気に変化した。
温度だけではなく、列島の構造も変化した。これを“晩氷期”という
1.朝鮮海峡は現海面より80メートル低かった。海峡そのものはそれより前からあった可能性があるが、この間に開大し、対馬海流が流れ込むことで容易には越えられない壁となった。
2.朝鮮半島と中国本土との間の広大な平原は水没し、残された朝鮮半島からは人跡が途絶えた。
3.温暖化(湿潤化を伴う)は黒潮の北上と対馬海流の発生によって、紀伊~東海と日本海南岸の2つの方向に進んだ。海流の入らない瀬戸内平原~近畿には冷涼・乾燥の気候帯が残された。関東甲信越以北では依然寒冷気候が支配的であった。


2)植物相

晩氷期からの温暖化によって、日本列島は複雑な自然環境の変化を開始した.

紀伊半島・東海・伊豆半島・房総半島を結ぶ線の南側には照葉樹林帯が、北側には暖温帯落葉広葉樹が分布した。これらは混淆し、クリ帯と呼ばれる豊かな縄文の森を発達させた。
落葉広葉樹林の北側、北陸から東北の日本海側、関東から東北南部の太平洋岸には、冷温帯落葉広葉樹林が広がった。
中部高地から東北南部の山岳、本州の北部、道南から石狩低地には亜寒帯針葉樹林が広がった。
さらにその北側(道北、道東、樺太)には森林ツンドラが拡が広がった。

3)動物相

更新世の末期: 大型哺乳類(マンモス・オオツノジカ・ナウマンゾウ・ヘラジカ・ニホンムカシジカ)が絶滅。短期間に急激な気候変動があり、人類の活発な狩猟による。
マンモスは、日本では1万1千年前、中国で8千年前、イギリスでは1万4千年前に絶滅したとされる。

これに対応して、1万5千年前にシカ・イノシシなど小動物を目標とする道具組成の交代がみられた。落とし穴や槍先形尖頭器、細石器や石鏃などである。

感想
日本の旧石器人は、4万年前に朝鮮半島から渡来した第一波、2万5千年前に樺太方面から渡来した第二波の混合である(人口比では第二波が優勢)。
この旧石器人が人種的特性を変えることなく縄文人へと移行する。その際、気候に合わせて南方型、北方型、中間の北九州型と分かれていくが、旧石器人としての特徴は共通のまま維持された。
この時期、朝鮮半島は無住の地であり、朝鮮半島との交流を念頭に置く必要はない。


2.各地域の自然環境と文化圏

1) 九州南部・四国南岸

1万2千年前 晩氷期の急激な温暖化を受け、日本列島の南部で最初に縄文的な環境が形成されはじめる。最初はコナラ類や暖温帯落葉広葉樹が卓越する。
後氷期(1万年前~現代)になるとシイ属やクスノキ科などの照葉樹林が拡大する。
同様の植生傾向は黒潮の北上により四国・紀伊半島南部、東海地方まで分布した。

1万3千年前 細石刃文化の後半に遺跡が爆発的に増加。無文土器が登場。
1万1千年前  細石器は消滅し、太めの隆帯文土器が特徴となる.
この時期に縄文的な生業・生活の原型が成立した。竪穴住居による半定住生活。

植物性食料の本格的導入: 堅果類の貯蔵穴さらには粉砕や摺り下ろし用の磨石・石皿・凹石、煮沸・アク抜き用の土器、木材の伐採・加工用の各種の磨製石斧などが発達
炉穴の普及は、獣・魚肉の薫製による保存食糧の確保、調理における火の常用を示す。

これら“九州南部縄文”文化が、種子島から四国南岸まで広がる。

2) 九 州 北 部

植生帯の区分では九州南部と異なり、冷温帯落葉広葉樹で、朝鮮半島につながる。

草創期第1段階 大分県の市ノ久保遺跡で細石刃核と無文土器が発見。韓国や北陸との類似が指摘される。
草創期第2段階 隆線文土器、次いで爪形文土器を伴う細石刃文化が数多く発見されている。


感想
櫛目文土器は6千年前に作られた朝鮮半島最初の土器だ。日本ではその5千年も前から土器が作られている。櫛目文土器が曽畑遺跡に持ち込まれていることを文明波及の傍証とする向きがあるが、これは牽強付会だ。むしろ重要なのは土器の使用開始が日本より5千年も遅れていることではないか。


3) 近畿 ・伊勢湾 ・渥美湾沿岸

ほとんど明らかにされていない。
近畿地方や濃尾平野に暖温帯常緑広葉樹(照葉樹)が拡大するのは、7,000~6,000年前まで下る。

4) 東海 東部 ・関東

13,000~12,000年前にトウヒ・マツ・カラマツ属などの亜寒帯の針葉樹林が冷温帯性の落葉広葉樹が優先する森林へと変化した.その後さらに照葉樹林が形成されるようになった。

東京都西部の秋川沿いに多量なサケの骨が発見されている。

10,000年前 温暖化により南関東まで縄文的環境が成立。

5) 中部 ・信 濃川中流域

1万1千年前 北アジアと同様の寒冷気候が継続し、落葉広葉樹とトウヒ属やツガ属などの針葉樹が混交して疎林を形成。
シカ・カモシカ・ツキノワグマとガン・ヒシクイの遺体が発見

隆線文土器は発達せず、爪形文土器や押圧縄文・表裏縄文・多縄文などの縄文系土器が発達。

6) 北 海 道

北海道は晩氷期になっても旧石器時代的な自然環境が継続し、亜寒帯針葉樹が優勢だった。

10,000年前まで北海道はサハリンを経て沿海地方と陸続きであった。この半島づたいにマンモス動物群が到来し、北海道の旧石器時代人の狩猟対象となっていた。

12,000年前にマンモスが絶滅した。この頃からアムール川流域と共通する細石刃製作技法が広がる。

約8,000年前 道南から次第に縄文的環境に移行した。(北海道の記載は若干荒っぽい)

まとめ

縄文草創期は新・古の2段階に分けられる。(隆線文以前と隆線文期)

1万3千~1万2千年前 九州南部の古段階の草創期文化。神子柴系の木葉形石槍や打製石斧。細石刃と最古の土器の共伴は、旧石器人の「本州から九州までの古段階における一般的な様相」と考えられる。

長野の御子柴遺跡に由来する神子柴系石器群は、アムール川流域起源の細石刃文化の流れを汲む。まだ陸続きだった1万3000年前に渡ってきた。
東北日本を経て急速に南下し、中部日本を中心に独自の文化として発達し、九州までにも拡がった。


感想
旧石器時代は三期に分けられることになる。
第一期 4万年前に朝鮮半島由来の旧石器A人が渡来してから、2万5千年前の寒冷期(ウルム)ピークまで。
第二期 2万5千年前に、アムール→樺太を経由して旧石器B人が渡来してから、旧石器A人との混淆・棲み分け。
第三期 1万3千年前、アムール由来の細石刃文化(御子柴)が東北日本を経て日本全土に拡大。この内九州南部に進んだ旧石器B人が温暖化した気候に適応し、無文土器→隆帯文土器を指標とする縄文文化の創始者となる。

南方縄文は6千年前の鬼界カルデラ噴火でいったん絶滅しており、九州北部の縄文文化との関連や連続性については、いまのところ肯定も否定もできない。九州北部の縄文文化が朝鮮半島の影響のもとに成立したとの仮説も、首肯はできない。
東北・北海道の旧石器人が縄文人となるのは、さらに5千年を経てからであり、その間は縄文文化と旧石器時代の併存時代であった。また北方人が生み出した縄文文化は、南方縄文とは独立したものであった可能性が高い。

こんな感じで良いのかな。