情報メディア発信局」というブログがあって、面白い見解を載せています。ただし私と同じで、思いつき的な文章が多くあまり実証的ではありません。
最終結論としては荒唐無稽で、とても受け入れられるものではありません。ただ、部分的にはうなずける推理があり、参考になります。以下紹介させてもらいます。

南九州の縄文人が古代朝鮮王国を作った

A) 西日本にも大規模な縄文文化が形成されていた

鹿児島の上野原遺跡と佐賀の東名(ひがしみょう)遺跡がそれを証明した。

上野原遺跡は約7000年前のアカホヤの大噴火により消滅した。
佐賀の東名遺跡は約7000年前に起こった。すなわち上野原文化が佐賀県佐賀市に移住したとして矛盾はない。

B) 2つの九州 縄文遺跡には重要な共通性がある

地面を掘って食物を保存すると言う習慣が共通している。これは考古学的に見てかなり特異な習慣である。

ただし東名遺跡の位置づけは未確定である。鬼界カルデラ噴火と同じ8千年前の貝塚遺跡で、貯蔵穴・人骨集中地が出土しているが、それ以上の言及は今のところない。

C) 7000年前、朝鮮半島は無人だった

1993年に発行された韓国国立中央博物館の書籍によると、“朝鮮半島は無人だったことが韓国国立中央博物館の文献で明らかになっています” しかし流石にこれは、そのままうのみにはできない。
これについて神旅 仏旅 むすび旅という記事があって
▶半島の歴史は旧石器時代から始まる。しかし、発見された遺跡数は50カ所程度にすぎない
▶その後、紀元前1万年から5千年まで半島から遺跡がなくなる。つまり、考古学上では半島の人々は絶滅した。
▶再び人の痕跡が現れるのは紀元前5千年頃で、これを櫛文土器文化とよぶ。
ということになっているらしい。さらにこの記事は下記のように踏み込む。
韓国での考古学調査の結果明らかになったことは、「韓国人の遠い祖先は、日本の縄文文化をもって無人の朝鮮半島に移り住み3千年の間に北部にまで広がった縄文人だった」ということである。

D) 東名は縄文海進により水没し、彼らは朝鮮に向かった

だんだん話が破天荒になっていきます。

E)百済、高句麗、新羅の振る舞いは宮崎、鹿児島、熊本の県民性に似ている

“それを言っちゃぁおしめぇよ” です。

E) 日向の国が人が住める状態に回復し、彼らは故地に“天孫降臨”した

もはや荒唐無稽の酒飲み話です。オチをつけたがるのは悪い癖です。


いただきたいのは、A)、B)、C)ですが、一番欲しいのは上野原→鬼界カルデラ→東名の連続性です。
とりわけ鬼界カルデラ→曽畑遺跡(熊本)ではなく→東名であることの証明です。