本日、北海道AALAでの報告会用の原稿です。

サンディニスタ革命40周年記念集会に参加して

はじめに

目の前に広がっている景色は、35年前に見た景色と同じでした。会場いっぱいの人々、10万人は越えていたと思います。
しかし集会の雰囲気はどことなく成熟したものを感じました。

考えてみればあたりまえの話で、ダニエル・オルテガは私と同世代、あの時が30代後半で今は70歳を超えています。
その下にふた世代積み重なったサンディニスタ党の集会なのです。

あのときは一方で革命の熱気が残っていて、片方ではコントラが大規模な侵攻を開始して、とにかくものすごいテンションだったのです。

いまでは与党とはいえ一つの政党にすぎず、支持しない人もたくさんいます。街にも幟や飾りはほとんど見かけず、サンディニスタがあまり目立たないように抑えている感じでした。

それなのに革命直後並みの動員力を持っているのはなぜでしょうか。これは一つの謎です。

アメリカに負けなかった国: ニカラグア

謎といえば、何から何まで謎です。10年近くも続いた内戦は、自分の責任ではなくアメリカから一方的に仕掛けられたものでした。

とはいえ、内戦のもとで5万人が命を失い、経済が崩壊し自滅した政権だったのに、その後も国民の影響力を失わず、生きながらえ、あまつさえ20年後に政権に返り咲き(しかも平和的に)、今では国民の7,8割の支持を受けているというのは、謎でしかありません。

そもそも自滅というのは正確ではありません。むしろアメリカの雇兵部隊に打ち勝ち、和平にまで持ち込んだことで、国の独立を守り、戦いそのものには事実上勝利したのです。

ニカラグアは小さな国です。面積や人口から言うと、北海道が独立して一つの国になったようなものです。

そんな国がアメリカに正面から立ち向かって勝てるはずはないだろうと思っていましたが、私の間違いでした。それは歴史的に証明されたことです。

ニカラグアは独裁国家ではない

そんなニカラグアを独裁主義国家だという人がいます。これはどこをどう押しても大嘘のコンコンチキです。

サンディニスタは戦いには勝った(というか引き分けに持ち込んだ)のですが、1990年の選挙では負けてしまいました。

彼らは、命がけで守った政権を野党に譲り渡し、長い間野党として活動してきました。

そして16年後に保守党分裂のすきを突いて、ちょっとした手練手管(もちろん平和的な)を使って見事に政権に復帰します。

2013年01月27日 ニカラグア大使講演、聞き書き: どうして、サンディニスタが政権に再び就いたか

それからというもの、世論調査では圧倒的に支持され、選挙のたびに大勝を繰り返しています。アメリカにしてみれば憎たらしいと思うでしょうが、選挙が公明正大だから手を出せずに来たのです。


それが10年も続いているのです。いわば民主国家としてのアメリカのお墨付きをもらったようなものでしょう。それが急に去年になって変わったというなら、その証拠を出すべきではないかな。

メディアは誰を「市民」としているか

今回、これだけ大々的に40周年記念集会をやったのは、単純なお祝いではないと思います。

去年の4~6月に国内で大規模な反政府派との衝突があって、それから1年経って国内はどうなっているのかを世界に知らせたいという思いがあるでしょう。

この「衝突」は2つの否定的影響を与えました。一つはそれまでニカラグアはポジティブなイメージで語られてきたのに、独裁政治のもとで暴力がまん延する危険な国だというネガティブなイメージに変えられたことです。

もう一つは、反政府派(の一部)が武力であちこちを占拠し、道路を封鎖したことです。さらにアメリカなどが制裁を課したことから、GDPは前年比4%(ちょっとうろ覚え)下がったと言われます。

もちろんこれとは別に人命をふくむ物理的被害はありますが、紙面の関係上ここでは省略します。

メディアの事件報道は偏ったものでした。
例えば、毎日新聞は次のように報道しています。
【サンパウロ山本太一】反政府デモを暴力的に取り締まる中米ニカラグアの反米左派オルテガ政権に対し、国際社会の非難が高まっている。
4月以降、当局との衝突などで市民約270人が亡くなった。各国は対話による解決を求めるが、混乱は深まる一方だ。
軍や警察がデモ隊や立てこもった市民に発砲し、死者や負傷者が相次いでいる…
それで市民というのが、この写真です。
民主派
説明文は「車やバイクに乗ってオルテガ政権に対し抗議の声を上げる人々」となっています。こういうのを普通日本では暴走族というけど、山本記者には「自由を求める正義の市民」に見えるらしい。

とにかく、メディアはなんの根拠もなく書き放題です。ベネズエラと同じことが行われています。

ニカラグア政府は紛争をどう抑えたか

今の世界が本当に怖いのは、米国がやると決めた瞬間から、対象国が世界中から孤立してしまうことです。

ドルの購入やドルによる決済が困難になり、世界との通常の貿易が不可能になります。禁輸措置がとられると、ドルを持っていても医薬品すら買えなくなります。さらに通関手続きが制限されることから物資は滞留します。

それらが何をもたらすかはベネズエラで見たとおりです。経済政策の失敗という見方もあるようですが、論理的にありえない話です。

ニカラグアに残された道は唯一つ、ひたすらに隠忍自重することでした。

反政府派がいかに暴力をふるい、破壊活動と封鎖を続けようと、政府は手を出しませんでした。サンディニスタ活動家にも待機の指示が出されました。警察は暴徒の破壊行為を遠巻きに眺めるだけで、事実上為すがままにさせました。

「軍や警察がデモ隊や立てこもった市民に発砲」している写真はありません。彼らが一方的に暴れ、サンディニスタの活動家を“人間タイマツ”にしている写真のみです。

当時の「衝突」は日本大使館が詳しくフォローしています。メディアに頼らざるを得なかったので仕方ないのですが、そのほとんどは反政府の「市民」による暴行でした。

今年3月にニカラグア国内のテレビで6夜にわたって放映されたドキュメンタリー番組が、余すことなく実態を伝えています。(ただし全体に冗長で、目を背けるような映像もふくまれており、日本人向けに手入れが必要でしょう)

ただこれに警察力をもって対応すれば、相手の思うつぼになります。ここは「ならぬ堪忍、するが堪忍」です。

実はこれでネを上げたのが経営者たちでした。
道路封鎖で3ヶ月にわたり全土で産業活動が止まりました。
資本家にとっては全国で無期限ゼネストを打たれたようなものです。

結局最終的にはアメリカと資本家たちの根負けの形になりました。サンディニスタではない普通の人々が、バリケードに立ち向かうようになりました。

7月に入って徐々に道路封鎖のバリケードは解除され、暴徒たちはいつの間にか消え去りました。結局のところ、反政府派の妄動は自己破産していったのです。

反政府派への恩赦と「愛」

暴徒は数ヶ月の妄動の間に、警察官やサンディニスタ活動家など数百人を殺害しました。

普通なら一般刑事犯として処罰すべきものですが、政府はこれらの暴徒に全て恩赦を与えました。無罪ではなく無処罰です。それが反政府派との和解の条件でした。

ただすごいのは、恩赦を和解の条件として提示したのではなく、「愛と平和」というサンディニスタ哲学の基本として提示したことです。

この考えは、かつてコントラとの和平の中で打ち出された考えです。内戦中にコントラは集団虐殺など悪辣な行為を繰り返していましたが、和解にあたっては一切その罪を問わず、土地を与え職を与えました。
nica女性戦士

このときのサンディニスタに対する信頼感が、今も国民の間に強く根付いていると思います。ニカラグアは、党派を超えてすべての市長が反核宣言をしている唯一の国です。

恩赦というのは罰しないということですが、そうではなく「罪は恕されなければならない」という考えが大事なのです。

若干宗教的になりますが、恕すというのは「愛」なしには実現できない行為です。愛の具体的な試金石です。
そこから導かれるのは、神が愛し恕すように我々も互いに恕さなければならないということです。

といっても言うは易く行うは難しい。

サンディニスタの青年と話す機会がありました。彼女も一生懸命勉強して納得したが、納得できない人もいると正直に話していました。

とにかく、このような方針と哲学を掲げた政党が国民の圧倒的支持を受けて活動を続けているという事実を、ささやかな事実ではあるけれども、大いに語っていかなければならないと強く心に刻みました。


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