みんなをずっとだまし続けるのは不可能だ

リンカーンの有名な文句に「人民の人民による人民のための政治」というのがありますが、それほどではなくても同じようによく知られた、もう一つの言葉があります。
少数の人ならずっとだませる。みんなをいっときだますことも可能だ。しかし、みんなをずっとだまし続けるのは不可能だ。

You can fool some of the people all of the time, and all of the people some of the time, but you can't fool all of the people all of the time.
というのです。

7月15日から1週間あまり、ニカラグアに行ってきました。そこで多くの出来事を経験し多くの人と接触する中で、ずっとこの事を考えていました。

リンカーンの言葉は絶対に正しいと思います。

しかし、“ずっと” というのは何時までなのでしょう。ヒトラーが政権についてから、廃墟となったベルリンで自殺するまで、世界は12年と1億の人間の死をもとめられました。

その間、世界の人口の半分は「鏡の国」、“ウソがマコトとなり、マコトがウソとなる世界”に閉じ込められました。ヒトラーは ある意味では、“ヒトラー的なもの” の代表にしかすぎません。それはいつか、どこかにか出現するのです。

いま、ラテンアメリカの数億の人々もトランプの作った「人種の壁」の向こうの「鏡の国」に追いやられ、“貧困と無知と暴虐のもとに暮らすアリたち”のように蔑まれています。

日本をふくむ「先進国」の人々は、1%の人々が “99%” を支配し貶めていることを憤っています。しかしその多くは、 “99%” たる「私たち」のなかに中東やアフリカ、ラテンアメリカの人々がふくまれていることを理解できないままでいるように見えます。

だから難民が押し寄せるとそれを害虫のように嫌い、「彼らには民主主義の一員としての資格はないのだ」と決めつけます。それは巨大な情報操作のなせる業です。

そうして作られた歪んだ「民主主義観」が、新興国とそこに住む人々への根拠のないヘイト感情をもたらします。それが結果として、「1%による支配」を補強していくのです。

私たちは今、歴史の流れに究極的確信を抱きつつも、国内外に現存するこうした無知と無関心と偏見の壁をどうしても乗り越える必要があります。この作業にはスピードがもとめられています。

連帯運動は審判する運動ではありません。それはなによりも自らが相手国の人々に学び、闘いに共感し、その教訓と歴史的意味を語り広げていく「知的運動」です。
「学びなくして連帯なし!」です。みなさんが「知性」のエンジンをフル稼働させてもらうよう期待します。