考古学における気候変動論の検討
-日本列島・朝鮮半島の水稲農耕開始前後を対象として-

徳島大学埋蔵文化財調査室の端野晋平さんによる文章だ。



キーワードは縄文晩期・倭韓地方・水稲・気候・考古学と多彩だ。多彩だが、まさに皆の知りたい勘所だ。特に「倭韓地方」という発想は面白いと思う。

この手の学際的研究は、意外に根文献を探すのが難しくて難航することが多い。ネット時代とはいえ、一次資料は大都市の大図書館で検索しないと入手できない。

まずは徳島の地で、論文にまで仕上げた著者の努力に敬意を評したい。

1.炭素 14 年代が基本

過去の気候変動を暦年代に落としてくための手技としては、炭素 14 年代の較正曲線が最適なものと考えられる。

過去における地球規模での気候変動は、大気中の 14C の増減によって推定できることが知られている。

14C 量が多いほど宇宙線照射量が多く、宇宙線量の増加→雲の増加→太陽熱量の低下→気温の低下という流れをもたらす。
逆に14C が減少傾向にある時期は温暖期に相当することになる。

寒暖を推定するもう一つの方法が「風成砂丘の形成」を考古学的に証明することである。
これは寒冷化に伴う海水準低下→風成砂丘の形成という現象を発見することである。
ただし適用範囲は西日本に限定される。

2.気候学的検討の結果

上記を組み合わせて表示したのが下の図である。

北部九州の気候変化

縦軸は14C濃度であり、横軸が紀元前900~200の時間軸である。
全般にこの時期全体を通じて温暖化に向かいつつあったことがわかる。
その中で小規模な揺り戻しとして2度の寒冷期があったという時間関係だ。

黒川式、夜臼式、板付式、城之越式は九州北部における弥生土器の様式名。

著者により細かい分析がなされているが、要はBC900年から北部九州の急速な温暖化が始まり、700年ころになってそれが弥生文化(黒川式)の発生をもたらしたということだ。

その後300年ほど足踏みがつついた後、紀元前400から再び急激な温暖化が始まり、それとともに板付Ⅱ→城の越へと文化が進展していくという関係になる。

3.二段階渡来説(初期渡来)

以下の二つの段階を設定することができる。

渡来第1段階:
無文土器前期/縄文晩期中葉(黒川式期)
半島南部との交流と渡来人の存在を暗示する
水稲農耕は試行的で一般化しなかった。

渡来第2段階:
無文土器中期/縄文晩期後葉(夜臼式期)
水田遺構、農耕具、磨製石鏃・石剣、壺形土器、支石墓などが出現。

以降はやや夢見がちな論調となるため省略。


寒冷期の絶対年代は研究者ごとに様々で方法論的にも統一されたものではない。
かなりの幅をもたせて第一期:BC900~700、第2期:BC500~350 くらいに捉えておくのが無難であろう。

「二段階渡来説」は著者のオリジナルであろうが、初期渡来のメカニズムを第一期=寒冷プッシュ論、第二期=温暖プッシュ論として提示している。ただし上にも述べたように、寒冷期そのものをそこまで厳密には絶対年代化できないのではないか、という根本的な疑問がある。

火山の噴火とか断層や津波の痕跡など、より直接的な根拠があると同定ははるかに容易なのであろうが…