今朝の赤旗の「朝の風」というコラムが、プルードンとマルクスの関係に言及しており、面白い。

朝の風
ただ、過剰なまでのネガティブ・レッテルがいささか興ざめだ。私としては、紋切り型ではなく、もう一つひねりを加えたいところだ。
もう一つ気になるのは、この文章が、マルクスとプルードンがともにヘーゲルの社会観を受け継いでいるということに言及していないことだ。

ヘーゲルはスミスの経済学を学びながら、初めてそれを社会の構造にまで拡大し「市民社会」論にまで膨らませた思想家だ。かれはロックの言う私有財産の神聖をうけとめ、それを公準としながら近代社会が形成されていく過程をイキイキと描き出す。しかし私有財産の神聖が一種のフィクションであることも示唆している。
それにたいして、プルードンは「私有財産は盗みだ」と喝破し、あからさまに私有財産の神聖を否定した。「王様が裸である」ことを暴露したのである。押さえて置かなければならないのは、プルードンはこのテーゼを彼なりのヘーゲル理解の中から生み出したということだ。
これに対して、マルクスは賛意を示した。ただ私有財産制を廃棄するには「ヤイ泥棒め!」といっているだけじゃだめで、「そのからくりを突き止めて首根っこを押さえなければならない」と言っているのではないかと思う。
そのためにまずヘーゲルの「法の哲学」をしっかり読んで、その上でヘーゲルが典拠としたアダム・スミスや父ミルに踏み込んでいくという道を選んだのだろう。

つまり、マルクスVSプルードン論争の謎を解く鍵は、ヘーゲルの「法の哲学」に潜んでいるということだ。

2019年04月19日 『法の哲学』 大目次







2018年12月17日 ヘーゲルの「仕事」論