ミンスキーの金融論

ミンスキー(Hyman Philip Minsky 1919~1996)はサミュエルソンとほぼ同じ時代を生きた。同じようにユダヤ人移民の家庭にうまれ、同じころシカゴ大学で数学と経済学を学び、ケインズの影響を受けた。

サミュエルソンが新古典とケインズを合体させる「新古典総合」というイカサマ的手法で有名になった一方、ミンスキーは「ケインズは新古典にあらず」としてサミュエルソンを攻撃し続けたらしい。

東谷さんの「経済学者の栄光と敗北」(朝日新聞 2013年)を読むと、ミンスキーが資本主義の本質を深く剔っていることが想像される。

ちょっと抜書きしておく。

* 「資本主義は本質的に不確実なものであり、その主要な不安定要素は金融にある」 これがケインズの最大のメッセージだ。

* 「金融が経済を不安定にする」という主張は、ミンスキー・モーメントと呼ばれ、リーマンショック→世界金融危機を解く鍵として注目されている。

* 62年の株価下落を大恐慌と比較・分析して次の特徴を引き出した。民間企業の負債が少なく、動員可能な流動資産ストックが大きかった。とくに政府の財政規模がはるかに大型化していたことが最大の特徴であった。

* アメリカ・ケインジアンは、金融市場と商品市場を同一平面において総所得(交点)を確定する。(ヒックス・ハンセン・モデル)
これでは金融市場は需要の関数でしかなくなる。資産選択の問題や投資要因の独自性は捨象される。また労働市場との関連も引き出せない。

* 新古典派総合(サミュエルソン)はさらにひどい。ケインズ理論の核心は労働市場が総需要の関数だということなのだが、新古典派の実質賃金→労働市場が蒸し返され、肉離れを起こしている。フリードマンのマネタリズムも概念構成としては同類だ。

ここでちょっと項をあらためる。労働市場の問題についてもう少し詳しく、ミンスキーのサミュエルソン批判を取り上げたい。

労働市場論でのサミュエルソン批判

* ケインズの考える需要・雇用論は、総需要が雇用量を決定するということだ。そこでは新古典派の賃金→雇用論は拒否されている。したがって両者の雇用量には差が生じる。
 
* サミュエルソンはこの差を本質的なものではなく、「タイムラグ」だと主張する。これが「短期ではケインズ、長期では新古典派」ということだ。(サミュエルソンは新古典派を意図的に古典派と混同している)

* 「困ったときだけケインズさん」というのは、あまりにもノーテンキではないか。これはとても困った理論だとミンスキーは主張する。

もういちど、ミンスキーの主張に戻る。

* ミンスキーは、この差はタイムラグではなく、もっと概念的に異なる理由により生じていると考える。ミンスキーはそれを「不確実性」の概念と名付けている。

* もう一度書いておくが、ヒックス・ハンセン・モデルは金融市場を事実上、需要の関数として従属させている。しかしミンスキーは資産選択の問題や投資要因に対して、独立したはるかに重要な意義を与えている。

不確実性の概念

* そして、それらを決定する要因が「不確実性の概念」なのだ。端的に言えばマインドの問題だ。それは同時に金融市場の独立性の主張でもある。

* このマインドが介在すると、金融市場は自発的に“不安定化”(不連続化)し、景気刺激の引き金がたとえ政策的な完全雇用であっても、雇用が需要を呼び、需要→雇用の爆発をもたらす。

* なお、巷間もてはやされる「ミンスキー・モーメント」というアイデアは、すでに「信用市場の循環」としてマルクスも指摘していることであり、ミンスキー本人にとってはどうでも良いことである。