ヘーゲル 『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts)  1821年

本格的に取り組むことにした。
と言っても原文を直接当たるのではない。ネット上の文献を当たりながら、目次に沿って小分けして、つまみ食い的に陣地を広げていこうという作戦である。
視力が落ちてきて、長いこと活字を読むのが辛くなったことが一番の理由。本に横線を引いて、そこを後でタイプして電子ファイル化するのが面倒だということもある。
なによりも老い先短い状況で、できるだけ広く・浅く・要領よく知識を吸収したいということだ。

まずこのページが出発点。
ウィキペディアの目次をリンク集にして、ここから網を張っていこうという作戦だ。
以下が「大目次」でそれぞれのパートに移動する。それぞれのパートが大きくなるようなら、それぞれに小目次を置くことになる。
数字はページ数ではなく§(セクション・サイン)をさす。ドイツ語ではパラグラフ・ツァイヘンというらしい。日本語では「段落」が相当する。

学習の順序だが、段落が全部で360あり、この中の比重としては
第一部第一章「所有」が40、第三部第二章「市民社会」が70段落、第三章「国家」A国内公法が70段落となっており、ここが重点となっているものと思われる。

この内、経済が直接関係するのは、原論部分での「所有」問題、労働と欲求を扱う「A 欲求の体系」である。
まずはこのあたりから手を付けることにしたい。私の本はみっしりと赤線と書き込みで埋まっている。しかし、そのようなことをしたことさえも全く思い出せない。


大目次

序文と緒論
- 自由の原理論 1~33

第1部 - 抽象法 34~104
第1章 - 所有 41~71
A 占有取得 54~58
B 物件の使用 59~64
C 自分のものの外化、ないしは所有の放棄 65~70
   所有から契約への移行-自由は「所有」という形を取る
第2章 - 契約 72~81
第3章 - 不法 82~104
A 無邪気な不法 84~86
B 詐欺 87~89
C 強制と犯罪 90~103
   権利ないし法から道徳への移行-「人格」の相互承認が自由の基礎

第2部 - 道徳-意志が普遍的な正しさ(自由)を求める 105~141
第1章 - 企図と責任   115~118
第2章 - 意図と福祉 119~128
第3章 - 善と良心-偽善とイロニー 129~140
   道徳から倫理への移行-制度として実質化した自由

第3部 - 倫理 142~360
第1章 - 家族 158~181
A 婚姻 161~169
B 家族の資産 170~172
C 子どもの教育と家族の解体 173~180
  家族から市民社会への移行

第2章 - 市民社会 182~256
A 欲求の体系 189~208
  a 欲求の仕方と満足の仕方 190~195
  b 労働の仕方 196~198
  c 資産 199~208
B 司法活動 209~229
  a 法律としての法 211~214
  b 法律の現存在 215~218
  c 裁判 219~229
C 福祉行政と職業団体 230~256
  a 福祉行政 231~249
  b 職業団体 250~256
第3章 - 国家 257~360
A 国内公法 260~329
  Ⅰ それ自身としての国家体制 272~320
a 君主権 275~286
b 統治権 287~297
c 立法権 298~320
  Ⅱ 対外主権 321~329
B 国際公法 330~340
C 世界史 341~360

解題 ざっくりと紹介。

生前に出版された最後のヘーゲルの著作である。
“読みやすい理由”: ヘーゲルが直接執筆した文章ではなく、死後に受講生が編集したもの。

ヘーゲル自身によれば、『法の哲学』の主題は「自由」である。
国家と社会を哲学の立場から論ずるということは、それらを「人間とはいかなるものか」という所にまで引きつけて検討することである。

常識(客観的精神)は家族や市民社会、国家などの“自由な人間”の行為により生み出される。それは抽象法、道徳性、人倫の三つの段階に区分される。
人倫はまた家族、市民社会、国家の三段階に区分される。
①家族: 愛情による集団統一の段階
②市民社会: 諸個人の欲望の体系に基づく労働の体系。(「欲望」は市場においてもたらされる)
③国家: 
a.立法権や執行権、君主権を用いて欲望の体系を包摂する。
b.市民社会の利己性を監視し、普遍性を現実化させる
c.対外的には、普遍性ではなく自国の特殊性を実現する

この「解題」はとりあえずこのままここにおいておく。長くなるようなら整理するか、移動させる。
これまでバラバラ書いてきたメモ書きは、いずれ整理統合する。

『法の哲学』の権利論とマルクス

はじめに

「理性的なものは現実的であり,現実的なものは理性的である」(S. 24)
近代社会の成熟という「夕暮れ」においてこそ,哲学は「ミネルヴァのフクロウ」として,近代社会の原理の理論的な集大成を行うために,「飛翔」を始める。

マルクスは,近代社会そのものが,ヘーゲルも指摘した「富の過剰と貧困の過剰」などの矛盾を含んでいる以上,それを変革しなければならないと考える。

この解放の頭脳は哲学であり,心臓はプロレタリアートである」

マルクスは,『法の哲学』の批判的検討をとおして,「市民社会」の分析の重要性を学んだ。

そしてマルクスは,かつてヘーゲル自身が古典派経済学の研究を行ったように,「市民社会の解剖学は,経済学に求めなければならない」と考えた。

重要なことは,『法の哲学』「序論」で表明された「社会哲学」という理論的レベルで,ヘーゲルからマルクスへの継承・批判の関係を検討することである。

A 「法の哲学」の権利論

1 .所有権

第 1 部 「抽象法」で近代的な人間(人格)の権利が論じられる。
第一の権利は所有権である。それは人格が物件を支配する権利である。
物件には,自己の身体も含めた自然物とともに,熟練や知識,学問,能力など精神的なものも含まれる。
所有権の主体は個別的な人格であるから,所有は「私的所有」である。
所有権は次の2つを意味する。
(A)物件の占有取得(Besitzname)である。それは身体による獲得,労働による形成,標識付けなどによって実現される。
(B)「物件の使用」である。所有権とは,物件の部分的使用ではなく,全範囲の使用の権利である。

価値(Wert): 個々の物件には特有の有用性がある。その中にある普遍性(共通の尺度)が物件の価値である。
物件の価値は貨幣によっても表現される。物件の所有者は,物件の使用者であるとともに,その価値の所有者でもある。

「物件の譲渡」: 物件は譲渡されるが、人格と自己意識の本質的な普遍性は,譲渡されない。

人格性の放棄: 奴隷,農奴などでは人格が放棄されている。労働においても,全時間と全生産物を譲渡するならば,それは人格性を他人の所有にしてしまうことになる。

2.契約

抽象法の第二は「契約」である。契約は相互に他者を人格として,かつ所有者として承認し合うことから始まる。
契約においては異なる物件が相互に交換される。その物件の価値は互いに等しい。

3.不法(Unrecht)

不法には3つの種類がある。すなわち罪なき不法、詐欺、犯罪である。

3-B マルクスによる「法の哲学」批判

マルクスが問題にするのは法そのものではなく、法の根拠としての経済的関係である。

契約という関係は,法律的に発展していない社会にあっても、両者のあいだの意志関係である。そこには経済的諸関係が反映する。

マルクスは,ヘーゲルの言葉を引用する(67節)

もしも私が,労働を通じて費消した私の時間と、労働を通じて生み出した私の生産物を外に譲渡した場合,私はそれらの実体,私の普遍的な活動,私の人格性の発露を,他人の所有にゆだねることになろう。

これは労働を労働時間に換算するという点で、マルクスがヘーゲルの考えを明確に継承したことを示す。

肝心なことはマルクスがヘーゲルの先に進まざるを得なかったことである。

現実には資本家と労働者との関係は自由でも平等でもなかった。

「自由意志契約」のもとで,労働者には長時間労働が強制される。そこで「自由な意志関係」に基づく労働時間を法律によって制限するために「工場法」が必要になった。

マルクスは「『譲ることのできない人権』のはでな目録に代わって,法律によって制限された労働時間というマグナ・カルタが登場する」と述べた。

4.人倫(Sittlichkeit)

5.市民社会論
ヘーゲルの市民社会論は「人倫」の第二部で扱われる。
市民社会では諸個人が相互に独立した特殊的・具体的人格として関係し合う。

諸個人は「欲求のかたまり」として,利己的目的を満足させるための経済活動を行う。

その中で,諸個人はおのずから社会関係を形成する。市民社会はこのような「全面的依存の体系」であり、個人の利己主義と社会的連関は分裂する。

これを克服するためには、個々人が学び教養を形成しなければならない。

学び(Bildung)の主題は
①自己の特殊な目的の実現は,普遍的な社会的連関によって媒介されていること
②自己の行動を普遍的な連関に適合させ,その一環としなければならないこと
である。

市民社会は2つの側面を持つ。

それは第一に欲求の体系である。
市民社会においては,人々の欲求は無限に多様化していく。これを満足させる手段を作り出すために、労働も多様化する。
これらの労働が固定的なものになるにつれて、労働が分割される。
分業によって労働が単純化されると、その技能も生産性も増大する。さらに人間の代わりに機械も導入される。
これらの生産・交換・消費の体系が、市民社会の「普遍的資産」をなす。
だれもがこの普遍的資産に参加できるわけではない。それは各人の資本と技能、すなわち「特殊資産」(端的に言えばおカネ)によって条件づけられる。
おカネと技能と労働の種類によって身分(Standが生じる。

それは第二に司法の体系である。それは「法律」であり,「裁判」である。
それは第三に行政の体系である。犯罪の
取り締まり,公益事業,生活必需品の価格指定,教育,貧困対策などを行う。
しかしこれらは第一の体系を補完し維持するためのものでしかない。

そのため,市民社会は富と貧困の矛盾を露呈させる。

a) 市民社会においては,一面においては,富の蓄積が増大する。社会関係が拡大し、欲求を満たす手段が拡大するからである。

しかし他面において,貧困が増大する。なぜなら富の蓄積とは富の不平等化だからである。
ヘーゲルはいう。
特殊的な労働の個別化と制限が増大し,このことによって,このような労働に縛りつけられた階級の従属と窮乏も増大する。そしてこのことは,その他のさまざまな自由,とりわけ市民社会の精神的便益を感受し享受することが不可能になることと結びついている。

こうして市民社会は,一方で「賤民(Pobel)」の
出現を引き起こし,他方で極度の富を少数者の手中に集中させる。
いかにして貧困を取り除くかという問題が,とりわけ近代社会を動かし苦しめている重大問題である。

しかし市民社会はこの問題を解決できない。
なぜなら富者に負担をかけることは市民社会における諸個人の自立性の原則に反するからである。

ヘーゲルは言う。
市民社会は富の過剰にもかかわらず,十分には富んでいない。
市民社会は貧困の過剰と賤民の出現を防止するほどに十分な資産をもっていない。
市民社会は発達するにつれて、そのことを暴露するようになる。
ここでいう「資産」とは,単なる財貨ではなく,「普
遍的資産」としての生産・流通・消費のシステムのことである。
残念ながら、ヘーゲルの市民社会論はここで止まる。その後のハプスブルクであったりプロイセンだったりする「国民国家」への期待は見事に裏切られていく。ただヘーゲルはそれすらも必然的は発展過程とみていたかもしれない。


5-B マルクスの市民社会論
『資本論』はマルクスの独自の「市民社会」論となっている。
a. マルクスは,ヘーゲルが問題にした「富と貧困」の
問題は,資本の労働搾取に基づくものと論を進める。

b. 「富の蓄積は貧困の蓄積である」と議論を進める。(私が思うには、マルクスは労働市場と商品市場との根本的な差異を指摘したのである。かなりどぎつく不正確な表現であるが…)

c. マルクスは,ヘーゲルの「職業団体」に対応するものとして,「労働組合」や「協同組合」を位置づける。