マルクスは所有の問題、労働の問題でヘーゲルを引き継いでいる。それはおもに「法哲学」を通じてのことになる。ところがヘーゲルのこれらの議論は、アダム・スミスを読んで得た知識に基づいているらしい。
ということで、マルクスは経済学の概念形成にあたって、特に初期においてはスミス→ヘーゲル経由で仕込んでいるのではないかという気がする。

そんな日々の中で、たまたま「マルクス資本論とアリストテレス・ヘーゲル」という本が見つかった。パラパラと目を通す。
工藤晃さんの書いた本で2011年、新日本出版社の発行だ。
私の目下の関心とぴったりだと思って読み始めたのだが、どうも車線違いのようだ。

工藤さんは資本論の論理がヘーゲルの大論理学と重なっていることを強調したいらしい。そのうえで、マルクスが援用するヘーゲルの現象(認識)過程論がアリストテレスに淵源を持つことを強調する。

ただしアリストテレスのことなどは、当座どうでも良いことなので、少々煩わしい。

工藤さんの問題意識は、むかし読んだ見田石介さんの「資本論の方法」につながるものではないだろうか。正直の所、この年になってヘーゲル論理学を深めようという気はない。またマルクスにそれほど肩入れしたり、忠義立てしようとも思ってはいない。

むしろヘーゲルが直接イギリス経済学に触れてそれを摂取しているのだが、それをどう解釈すべきかが一つ、もう一つはそれをマルクスはどう受け止めているかというのが一つである。

一応、最初の数ページだけメモしておくことにする。