史跡 キウス周堤墓群

縄文時代後期後半(紀元前1,200年頃)に造られた8基からなる大規模な集団墓です。

円形に竪穴を掘り、掘り上げた土を周囲に環状に積み上げます。そうするとドーナツ状の周堤ができます。

直径は最大75m、周堤上面から竪穴底面までは1~5.4mとなっています。竪穴内部には複数の墓穴があります。多くは穴を掘っただけのものですが、立石が伴うものもあります。
周堤墓断面
      2号周堤墓周堤断面(上:2012年、下:1965年6月)
周堤墓というのは、北海道の縄文時代後期後半にみられる特殊な集団墓地です。北海道から本州北部にみられるストーン・サークルが、特殊な発達を遂げたものとみられます。

経過については、大谷敏三「キウス周堤墓群」にまとめられているので要約紹介します。


1901年 河野常吉が最初の調査。アイヌのチャシとして報告。

1917年 阿部正巳が調査。「キウス土城」として報告。アイヌのチャシではないとしつつ、それ以上の検索は行わず。

1919年 鳥居龍蔵、ツングースの遺跡の一例とする。

1930年 「史蹟キウスのチャシ」として史跡名勝天然記念物保護法の仮指定を受ける。

1936年 原田二郎、キウスの「チャシ」居住の痕跡が認められないことからチャシ説を否定。の調査を行う。

1948年 斜里町の朱円栗沢に縄文後期末の円形墓壙が発見される。発掘により縄文土器、漆器、ヒスイなどが発見される。このことからキウスも同様の墓地と判断。調査を担当したのは河野常吉の長男の広道。

1964年 在野研究者の石川徹が北大の大場講師の指導を受け発掘調査を行う。いくつかの墓壙と人骨を発見。

掘削面の研究で樽前c火山灰層(2500年前)より深かった。

1979年 キウスの周堤墓が国指定の史蹟となる。

一つの周堤墓の築造に約3千立方メートルの土砂が運搬されており、25人x123日の労働量になると計算された。
周堤墓全景
        人が立っているところが周堤墓の底面