さてこのパレート効率性(Pareto efficiency)というのがわからない。

新古典派の常識なのだそうだが、聞いたこともない。

とりあえずはウィキペディアから…

資源配分に関する概念のひとつ。パレート最適ともいう。

イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレート(Pareto)が提唱したのでこう呼ばれる。

ミクロというのはいちいち気にさわる「学問」だが仕方ない。

資源を配分するときに、誰かがシワ寄せされる状況を「パレート効率的」という。要するに犠牲を伴う貧困状況だ。
状況が改善して犠牲者なしとなれば、パレート改善したという。

問題はここからで、パレート改善するということは、誰の効用も犠牲にせずに誰かの効用を改善し得るのだ。

つまりきわめて望ましい状態だが、新古典派にとってこの状況は非効率的で、望ましい社会とは言えない。

彼らにとって、パレート効率的であることは、望ましい社会の十分条件ではないが必要条件である。

つまり、社会が満たされない人を抱える程度に不平等であることがパレート的には「良い社会」なのだ。


厚生経済学の基本定理

パレート効率性と競争均衡配分には2つの関係がある。

第一基本定理: 消費者の選好に一定の幅があるとき、競争均衡によってパレート効率的な配分が行われる。

第二基本定理: 消費者の選好に一定の幅があるとき、パレート効率的配分は競争均衡配分として実現可能である。

ということで「パレート効率性」がわからないままだが、それを知るためには厚生経済学というものを知らないとならないようだ。