の抜書です。


1.なぜマルクス主義は規範理論を探求すべきなのか? 

新古典派経済学は、従来の狭いパースペクティブを超えた問題関心を持ち、分析枠組みを拡張させている。

もはやマルクス主義が「資本論」体系に拘束された展開を続けるのは有効ではない。

マルクス主義者は規範理論にコミットする事が必要だ。事実解明と分析の後に、マルクス主義的な価値観に立脚した独自性を発揮すべきである。

マルクス主義のアイデンティティとは、まず、資本主義を永久不滅なシステムと見ないことである。
ついで、「よりまし」な社会経済システムへの改革の展望を、科学的に基礎付ける事である。
そしてさらには現状からの代替案となりうる新しい社会経済システムの構想を、理論的裏づけをもって提示することである。


2.労働所有権思想と「必要性の原理」

資本主義経済システムは労働搾取のシステムとして理解されている。
その理由は、「労働の搾取」理論がロックの労働所有権思想を起源としているからである。
これでは、「搾取、搾取というけれど、いったい何が悪いの?」という疑問に対して、説得的な返答が出来ない。

しかし、ロック主義は資本主義の真髄であり、本来のマルクスとは異なる。
マルクス主義の分配に関する本来の規範的基準は「必要原理」であり、ロック主義的な労働所有原理ではない。

「必要原理」を将来の人類の課題へと棚上げすることなく、現代の生産水準の下でも実行可能な資源配分に関して言及するべきである。
そういう「必要原理」の定式化がもとめられているのではないか。


3.厚生経済学の基本定理とパレート効率性基準

「パレート効率性基準」は新古典派経済学の「常識」となっている。
これにもとづいて市場経済の資源配分機能が評価される。それは「厚生経済学の基本定理」と呼ばれる。

「厚生経済学の基本定理」に表れる新古典派経済学の市場観は、マルクス主義やケインジアンなどとは著しく異なっている。

新古典派によれば、
市場経済はその競争均衡により、原理的にパレート最適性を保証する。
実存する市場経済システムが「不完全性」であれば、是々非々で対応することになる。

このような市場観が広範に浸透している以上、対抗的な市場観を提示するだけの外在的批判では、今後の生き残る可能性はもはやない。


4.市場経済至上主義と非市場的社会

市場が完全競争市場の条件を満たし、「社会的厚生」の最大化が実現したばあい、非市場経済的社会生活は満足できるものになるだろうか。

地球環境の問題は、深刻な問題を突きつけている。

また、新古典派経済学の標準的議論には、「パレート効率性」の達成をもって市場経済の性能に免罪符を与えかねないような所がある。

実際の経済では、むしろ「市場の失敗」現象が普遍化している。このように人々の間で利害が対立する局面では、パレート効率性基準はほとんど有効な機能を果たさない。


5.価格理論としての労働価値説

資本主義の下での利潤の生成とその資本家による取得という現象は、労働者階級への搾取と対応している。

しかしこれには、別の規範理論的観点からの説明が必要なのではないだろうか。

価値形成機能を有する生産要素は労働力だけであるという労働価値説は、もはや十分な説得力を持たない。


6.問題は搾取ではなく、生産手段の私的所有ではないのか

資本財を所有しない人は、ルンペンとして生きるか、さもなくば労働者となるしか選択可能な道は存在しない。
このような生きる機会の不平等は、生産手段の不均等的私的所有の下で直ちに生じてしまう。
このような社会のあり方は道徳的に許容できるとは言えない。

資本主義的経済システムは、原理的に人生選択の機会の不平等を拡大再生産する。また、こうした不平等の存在を、そのシステムの本質的契機としている。

先に述べたように搾取論は、ロックの労働所有権思想をベースとしている。しかしロックの中核概念こそが私的所有制度なのだ。

私的所有制を個々人の不可侵な自然権の体現であるとするロック主義的社会契約論が問題の根源にあることを理解しなければならない。