すみません。孫引きの紹介です。(「ヘーゲル:法の哲学 入門」より)

ヘーゲルの「フィヒテとシェリングとの哲学体系の差異」(1801)という本にこんなことが書いてあるそうです。

直観と概念の相互包摂を通して理念(イデー)が展開される。これがヘーゲルの論理形式である。

この論理形式のもとに、人倫の原理が実現される。それは自然的生活からはじまり、自由と共同が自覚的に統一され、その土台の上に国家が成立する。

これと並行して絶対者の運動が語られる。それは実体的統一に始まり、対立差別が発生し、やがて再統一に至る運動である。

ここにヘーゲルの社会倫理(成る展開)は、弁証法の論理(為す展開)と結びついて、その姿を表したのである。

そのうえで、自然的生活から自由と共同への足がかりとして以下の4つを取り上げる。

①労働: 労働により共同生活が歴史的に形成される。
②道具や機械: マルクス風に言えば労働手段。これらの手段により人間と自然との関係が媒介される。
③言語: 言語により人間対人間の関係が媒介される。
④分業と機械化: 生産力は飛躍的に増大するが、全一的な人間性は分裂し毀損される。

市民社会は自然的生活より優れた人倫を保有するが、しかしそれは④の理由により相対的なものである。

それは矛盾を内在しており、その矛盾は国家によって克服されるほかない。


ということで、史的唯物論の骨子はすでにヘーゲルにより語られている、あえて言えば語り尽くされていることがわかる。