根井雅弘さんの「ケインズ革命の群像」という本を読んでいる。中公新書の一冊でバブル真っ盛り1991年の出版である。
本棚の隅から掘り出した。我が家の本棚は最近ブックオフの本棚と変わりない。みたこともないような本が並んでいる。読んだ本➗買った本の比率がどんどん下がる。主要な原因は読書力がどんどん落ちているのに購買欲がその割に落ちないからである。
こういうのを「無効需要」というのだろう。同じ無効需要でもかみさんのアクセサリは誰かにくれてやるという活かし方があるが、こちらはおそらく最終需要であろう。

面白い一節があったので、メモしておく。
第一章 ハーバードにおけるケインズ の中の 「マルクス主義者のケインズ批判」というくだり。
スウィージーの一言である。
“資本主義的なゲームの規則通りに行動している人間”という役者が、逃れようのないかのように見える窮地に陥るたびに、この「神」が舞台に登場するのである。もちろんのこと、オリンピア劇におけるこのとりなしの神は、著者と、そしておそらくは見物人にも満足のゆくようなやり方で。万事を解決してしまう。
ただ一つここで困ったことにはーマルクス主義者なら誰でも知っているようにー国家は神ではなくて、他のすべての役者たちと同じように、舞台で一役を演ずる役者仲間の一人に過ぎないのである
これはいつの文章かは知らないが、翻訳・出版は1954年である。(「歴史としての現代」都留重人監訳 岩波書店)

これを読んでう~むと唸ったのは、去年の9月リーマンショック10周年で、その後の変化をどう捉えるのかということで悩んでいたときの問題意識に、かぎ穴に差し込んだ鍵のようにあてハマったからである。

リーマン・ショック後にEU諸国は長く続く不況と失業に苦しんだ。ユーロ圏では思い切った金融救済策が取られたが、それが相対的に弱小な国に重い負担となってのしかかり、PIGGSでは国家存亡の危機を招き、フランスの屋台骨さえきしみ、揺らいだ。

話は2つだ。

一つはサムエルソンよろしく、ふだんは新古典派やネオリベでやっていて、苦しくなるとケインジアンにやってくる。
そんな気楽な若旦那みたいなことしてちゃいけないよ、というのがジョアン・ロビンソンの言い種だが、スウィージーにとってはそもそもそれがケインズじゃないの? ということになる。

もう一つは、もうリーマン・クライシスはないよということだ。次にこれが来たら世界経済と資本主義国家はすべて底が抜けてしまう。そこんとこを本気で反省しているの?
あとになったら、「ケインズみたいな方法、知らないほうがまだマシだったんじゃないの」ということにもなりかねない。

南海大地震じゃないけど、こういう経済システム、そろそろ根本から変えないとだめなのじゃないかな。それには「民主主義的社会主義」しかないんじゃないかな、ということだ。