古田足日さんが亡くなったそうだ。大江と同世代の愛媛の田舎の出身(厳密に言うと古田は半分戦中派で大江は純粋戦後派)。大江と違って、文学少年で落ちこぼれ生徒で、戦後のドサクサの間に児童文学にハマり、嫁さんに食わせてもらいながら、評論と実作で名を挙げていった人のようだ。

『児童文学の思想』(古田足日 牧書店 1969)

内にある伝統とのたたかいを
ーーいわゆる未明否定についてーー


という文章がネットで読めるひこさんの「児童文学書評」というサイト)。抜粋して紹介する(えらく抜粋しづらい文章なのだが)

予備知識として: 古田らは54年に「少年文学宣言」を発し、“古い児童文学だ” と小川未明を否定した。これはその言い訳も兼ねた文章。


人がものを書こうとするとき、おとなでありながら子どもにむかってものを言いたい、または小説ではなくいままで童話といわれてきたものをえらぶということは、それ相応の理由がなければなりません。

大ざっぱにいえば、その理由の大部分はその人が自分の内に多分に未明的心性、広くいえば児童心性・原始心性を持っていたからです。


ぼくは単純に未明(小川未明)を否定しているのではありません。(単純な否定とは無視あるいは児童文学からの除外ということ 私注)

未明のしめる位置を小さくすると、このいびつな児童文学がどのようにして形成されてきたのかという、かんじんかなめのところがぬけおちます。

 事実の無視ということは、菅忠道がしばしば未明否定論者にむかって説くところのものですが…

…事実を無視させたものは、歴史の固定化であり、西欧児童文学史の法則をあてはめようとする図式化であり、もっとも根本的なものは、未明と対決する姿勢がなかったことです。


…資質の大小は問題ではありません。この「誠実さ」が足りず、したがって文学性が低くなっていく傾向が、いまの児童文学に見られることが、問題です。「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」という『子どもと文学』の主張は、日本の児童文学のさまざまな欠点と同時に、文学性もタライの水ごとすててしまいそうな方向を持っています。

「時代のためにこうなった」という、その「こうなった」の内容こそがぼくの問題です。つまり、未明童話にはなぜおとな的なものが多くのこったのか。なぜ暗さのほうが強く、あかるさのほうが弱いのかなどという問題、これを時代のためと言ってしまうのは、あまりにも簡単にすぎます。


 おばけを書くことのできる作家は数えるほどになってしまったばかりではなく、そのおばけも小さくなってしまいました。ゆうれいは絶滅してしまったように見えますが、まだ南海の底深くには、いやぼくたちの身辺にも、ぼくたち自身のなかにも、死んでも死にきれないゆうれいが存在しているということのほうが、はるかに現実的なのです。