カントはスピノザから何を受け継いだのか、スピノザ→カントという流れは哲学史の主流なのだろうか。

以上のことが知りたくて、少し文献をあたってみたが、端的に言って状況は絶望的だ。

なにか意味のある教えはほとんどない。しかし情報量だけはものすごい。

二人の関係について書かれた文章は、すべて超難解だ。真剣に知りたいと思う人にとって、説得力のある文章とは思えない。

つまり、早い話が二人に意味のある関係はないということだ。スピノザがカントを知るわけはないから、カントがスピノザからどれくらい影響を受けたかということになる。

これだけ奥歯にモノの挟まった言い方が並べられると、「要するに関係ないんですね」ということになる。

ある人は問わず語りに面白いことをいっている。

大局的に見て、カントとスピノザの間にどのような関係が成立しているか、という点に新しい照明を当てることである。
カントとスピノザの間に「第2スコラ哲学」という共通した背景をおくことで、この問題を考えることができるだろう。

まさにそこにあるのは「スコラ哲学」そのものなのである。

後は哲学者たちの飯のタネみたいなゴシップ話だ。以前言語学でやったソシュールとか構造主義の属と同じだろう。

率直に言って、カントの道徳感(というよりケーニヒスベルクの道徳感)は、スピノザの倫理観よりはるかに古色蒼然としたものだ。スピノザに文句言えるような立場ではない。

もう少し自分でネタ探ししてみたいと思うが、結局スピノザの問題意識は、シェリングとヘーゲルが「カテゴリーの自己展開」を試みる時代まで発展されることはなかったのではないか、という気がしてきている。

とりあえず、「近現代哲学の虚軸としてのスピノザ」を参照のこと