エチカ(Ethica)の摘要

すみません。原文を読まず解説本をまとめただけのものです。自分の心覚え以上のものではありません。

1.自己原因(causa sui)

エチカは「自己原因」という概念の定義から始まる。

万物に原因がある。これをたどっていくと、それ以上探求することができない究極的な原因につきあたる。これが自己原因である。

この自己原因は、事物・自然・神と等しいとされる。

“Causa” はもともと悪い意味だ。「…のせいだ」みたいな響きがある。破門のことが念頭にあるかもしれない。

同時に“Causa”は「大義」という意味にも発展していく。多分両方かけているのだろう。

それでは事物・自然・神はどのような関係にあるのだろうか。

2.「神即自然」: 自然は神の様態の一種である

神はさまざまな形で論証されてきた。それはそれとして、自分は自分なりに“ユークリッドのように”論証してみたい。

神は無限の属性を備えており、自然も万物も無限の属性を備えている。なぜか。
それは神が備える無限の属性が、自然・万物の様態として表されているからである。

自然のうちには一つの実体しかない。それが神である。それは絶対に無限なものである。
然るがゆえにあらゆる事物は神の属性である。

神の思うままに自然世界は存在する。これがスピノザの「神即自然」という概念だ。

しかし、この断言はただちに疑問を引き起こす。
それは「自然は無限なのか」ということだ。もし無限であるならそれは神である。「自然即神」だ。それはかぎりなく唯物論だ。

スピノザは火炙りになるのが怖くて、「神に規定されるがゆえに自然は有限だ」と、“言い繕った”のかもしれない。

実際、スピノザは、18世紀のドイツでは無神論者として受け取られた。

3.「汎神論」: 万物は“大きな神”の一部である

神は超越的な創造者ではなく、自然の諸物の中に内在している。あらゆる事物にとって、神の内在は必然である。

自然の諸物は相互の関係の中で変化している。事物相互の関係は巨大なネットワークを形成する。このネットワークはその中で完結している限りにおいて、神そのものである。

その故に万物は精神性を具備し、“大きな神”の一部を形成する。これが「汎神論」ということである。

これは八百万の神様に慣れ親しんできた日本人にはまことにわかりやすい論理である。ただスピノザの「神」は、そういう物神崇拝的なアニミズムとは違う。万物を貫くのは唯一神である。

だからいずれは唯一神を論証する方向に収斂しなければならないであろう。

4.人間も神の属性の一つ

人間は精神(=意識)と身体に分離される。故に人間は有限である。故に神の属性の一つとして理解される。

人間は自然の一部ではあるが、自然そのものではなく、自然に規定された存在である。人間は、自然の無限の属性に規定されている。さらに自然は神の無限性から派生する、

5.人間の感覚と精神

エチカ第3部で、スピノザは人間の感情を論じている。

前の段落で明らかにしたように、人間は精神(=意識)と身体に分離される。

感覚は身体活動の表現である。それは自然の必然性、自然の力から生じてくる。したがって感覚には自然的原因がある。

人間の身体は自然によって左右される不完全な存在である。感覚的経験に基づいた認識には妥当でないものが内包される。

一方において人間は神の精神を表現している。それは人間が自然に抗い、生き延びる努力として示される。精神は自己の「有」に固執する。これが自己保存の努力であり、人間の本質にほかならない。

その努力が身体に向かえば、それは衝動となり、それが意識に反映されれば欲望となる。

6.「自己保存」の努力: Conatus sese conservandi

ここから先はちょっとややこしい。原文では「自己保存」の努力(Conatus sese conservandi)とされており、良くわからない。

悲しいことに多くの解説を読むと、さらに分からなくなる。

とくに「自己防衛」が神の精神だというと、ちょっと独断的な自己の押し出しが気になる。デカルト的な匂いもする。

國分功一郎さんがNHKの「100分 de 名著」で、うまく解説している。

すべての事物は常に変化しておリ定まるところがない。しかし事物は、変化すると同時に、変化のなかで自己の存在を維持している。この「同一性維持の傾向」が本質となる。

と、非常に納まりのいい解釈をしている。文章にすると、「私が日々の移ろいの中で私であり続けること」、そのための努力を指す言葉だということになる。

ただしこのコナトゥス=ホメオスターシスという解釈があたっているかどうかは、確信は持てない。


7.「善と悪」の基準

自然のうちには、善悪というものはない。だから善悪の判断は意志、欲望に先立つものではない。何者であれ、自分以外の他者に善悪の基準を委ねるのは間違いだ。

各々の人間が欲望を果たすための行動を取るとき、その行動の基準が、人間にとって善の基準なのだ。そしてそれは欲望の強さとの関係で相対的に規定されるものだ。

さらに言えば、人間の行動は自己保存の本能によって規定されている。それは神の指し示すものだ。

5.理性と直感知(Intuitive knowledge)

人間は理性を獲得できる。理性を獲得すれば自ずから真理を獲得できる。

真理を獲得したことは、「その真理を獲得することにより自分が変わった」、という実感をいだくことによって確認される。そして理性により神を認識する直観知を獲得することができる。

言葉にすると良くわからないのだが、日常生活の中で突然コツを掴んでしまうようなことがあるが、そのことを言っているのだろう。ある動作について論理的・演繹的認識が直感型、パターン型認識に移行する経験を指していると思う。

6.人間が成長するということ

成長するということは直感知を獲得して自由人となることである。

自由というのは、好きなものを選ぶということではない。行為のうちで自己のあり方がよりどれだけ多く表現されるかの度合いだ。

つまりある人がある行為において、どのくらい自己を表現できるか、そのためのスキルをどれだけ獲得したかが、自由であるか否かを規定する。