篠田さんのM7aハプロ論におもう

2019年02月17日 南九州の先史時代 で、蛇足的に付け加えたのだが、やはりもう少し言っておかないと気がすまない。

篠田さんはM7aハプロを使って日本人南方由来論を展開したがっているようだ。

1.ミトコンドリアDNAの方法論的問題

我々は日本人がどこから来たかを巡って議論している。

それは日本人の祖先がどうやって日本にたどり着いたかという問題でもあるが、そうやってたどり着いた人が、どのようにして生き延びて現代までつながってきたかの問題でもある。

後者の問題はゲノムをいじっているだけでは解決できない。だから前者の問題は意味がないと言っているわけではない。
ゲノムだけで分かった気になってはいけないということだ。ゲノム屋さんにはとかくそういうところがある。

もう一つはミトコンドリアDNAは民族の移動を語るには原理的に不向きだということだ。これはY染色体に比べてという相対的なものだ。

この問題は全ゲノム対象の分析においても同じだ。正確といえば正確だが、その分ノイズが入ってくるからむしろ間違いが持ち込まれる危険性もある。

まずはY染色体ハプロがファーストだ。これがもっともシンプルに個体のルーツ、社会グループの傾向と本質を明らかにしてくれる。

ただし、Y染色体には弱点がある。古人骨からの採取がほぼ不可能だということである。この点でミトコンドリアDNAは適応範囲がはるかに広いので有利である。

もう一つは一つの社会グループの男女関係を明らかにしてくれる。

Y染色体が移動するゲノムとすれば、ミトコンドリアDNAは移動したがらないゲノムである。Y染色体が殺し殺されるゲノムとすれば、ミトコンドリアDNAは生き延びるゲノムである。一つの社会グループを構成するY染色体とミトコンドリアには対応関係がある。

これが崩れてきたときは、そのグループに大きな質的変化があたことを示す。その典型が戦争であり、他民族の侵入であり、支配である。

例えばアイヌの男性はほぼ純粋な縄文系であるが、女性の半分はニヴフ系である。つまり3対1の割合で混じったハイブリッドである。

この混血は、縄文人がニヴフの居住地に侵入したことから生じたと判断できる。

これはY染色体を主に、ミトコンドリアを従にして考えれば容易に得られる結論である。

ただY染色体にはサンプル数が少ない、古人骨に遡れないという決定的な欠陥があるため、適用範囲におおきな制限がある。そこはミトコンドリアを上手に組み合わせていく他ないのである。

2.M7aハプロとC1ハプロ

ミトコンドリアDNAのM7aハプロはY染色体のC1ハプロと対応する。

C1の経路はミトコンドリアM7a よりはるかに単純明快である。

C1はアフリカ東部のY染色体アダムから分岐している。AとBはアフリカに残った。CとDは紅海をわたりオマーンにエデンを形成した。その後5万年前ころにともにアジアを目指して出発した。

そのうちでもっとも先陣を切って東アジアに入ったのがC1人であり、その一部は朝鮮半島を経由して4万年前ころに日本にまで到達した。
つまりC1人は現生ホモ・サピエンスの中でもっとも由緒正しい系統のグループである。

それが今なぜ日本にだけいるのか。答えはかんたんで、他が絶滅したからだ。

篠田さんはスンダランドとか島伝いとかいろいろ言うが、そんなのは関係ない。誰もいない大地を、みんなでひたすら東に向かえば、誰かがいつかは日本に着くだろう。それだけの話しだ。

3.ナウマン人のその後

C1・M7a人はナウマンゾウを追って日本に来たものと思われる。以下、便宜上ナウマン人と呼ばせてもらう。

ナウマン人は最終氷期のピーク、2.5万年前まで日本の旧石器人のほぼ全てであった。彼らは九州全土にもまんべんなく分布したが、圧倒的に多かったのは関東平野である。

その関東平野の旧石器人は一旦ほぼ消滅する。理由は今のところわからない。ナウマン象の絶滅、寒冷化による植生の変化、ひょっとすると华山 の噴火などがあったのだろう。

そのかわりに北方からの別の旧石器人が入ってきた。そして彼らが旧石器人→縄文人の主流となっていく。ナウマン人の生き残りは北方からの旧石器人と融合し生き延びた。彼らの罠・落とし穴猟による小動物の確保術は共通化された。

そのときにあっても、南九州のナウマン人は北方人と一体化しなかった。
彼らは種子島、屋久島まで逃げのび、そこで命をつないだ。

やがて最終氷期が終わり、針葉樹林は北方に去り、落葉広葉樹林が広がり、さらに1万年前辺りからそこは照葉樹林帯へと変化していく。

4.ナウマン文化から縄文晩期文化へ

南九州縄文文化は縄文草創期に花開いた後、鬼界カルデラの噴火により消滅する。

以下は妄想である。

海洋民族化していた彼らの一部は北部九州に移動し、北方人の縄文文化と融合して縄文晩期文化へと発展して行った。

さらに北部九州から朝鮮半島南岸へと逆進出し、中国渡来民とともに「葦原中国」の形成に預かった可能性もある。

弥生式土器は、元は南九州縄文人の隆帯文土器の流れを引き継ぐものかもしれない。

隆帯文土器