前置きが未だ長くなりそうなので、年表部分は別扱いとしました。

約3万5千年前 後期旧石器時代初頭 種子島立切(たちきり)遺跡。日本国内最古の調理場跡が発見。礫石器で植物性食物を加工し、炉や礫群で調理をおこなう。

3.1万年前 石蒸し焼きを行った焼土跡・礫群が出土。局部磨製石斧,台形様石器が各地より出土。種子島の大津保畑落とし穴群。
縄文銀座

3.1万年前 後期旧石器時代 最終氷期最寒冷期の直前に姶良カルデラの巨大噴火。
噴出量450 ㎞3の超巨大噴火で、吹き出した火砕流が九州全土を覆い、厚さ最大100mほどのシラス台地(種Ⅳ火山灰層)を形成した。九州の植生は1000年回復しなかったといわれる。(カルデラの噴火時期は文献により相当の違いがある)

26000年前 石刃技法とナイフ形石器が拡大。この頃、北方由来の旧石器人種に交代?

旧石器分布
    旧石器時代の遺跡分布

2.5万年前 最終氷期最寒冷期。(ウルムの表記についてはここを参照のこと)

2.4万年前 姶良カルデラの大爆発・入戸火砕流。(AT火山灰)

2.1万年前 沖縄・港川人の出現。
南九州の早期縄文文化を担った人たちはミトコンドリアDNAのハプログループM7aだった可能性がある(篠田)。またY染色体はC1グループの可能性がある(崎谷)。ということで、港川人と縄文人には血の繋がりなし。
2万年前 帖地遺跡(喜入町)。磨製石器9点。仁田尾遺跡(鹿児島市)の古層よりナイフ形石器。

1.5万年前 細石刃文化が日本列島全体に広がる。

1.5万年前 暖かい黒潮が温暖化とともに日本列島に近づき始める。植生は針葉樹林帯から落葉広葉樹林へと変化。

1.5万年前 旧石器時代末期 上場遺跡(出水)、水迫遺跡(指宿)など。ここまでの旧石器時代末期の各遺跡の年代は相当誤差があり、事実上同一時期として幅を持って見ておいたほうが良い。

1.3万年前 縄文時代草創期第一段階。仁田尾遺跡、加栗山(かくりやま)遺跡、加治屋園(かじやぞの)遺跡、榎崎(えのきさき)遺跡、など。叩き石・麿石を用いた植物食利用、細石刃石器群、大型石斧など。

磨石というのは世界的には新石器の範疇である。日本には新石器時代はなかったとされるがどうなのか。
縄文時代とされるのは、土器が出てくるからであるが、それは「縄文式」土器ではない。本州に縄文式土器が出現するのは1,1万年前以後であり、この間、南九州は隔絶的な進歩を遂げている。

1.2万年前 氷河期が終了し間氷期へ入る。まず種子島、ついで南九州で照葉樹林が現れ、生のまま食べられる木の実も豊富になった。

1.2万年前 縄文時代草創期第二段階。栫ノ原(かこいのはら)遺跡など。縄目文様ではない貝殻文様の土器と木を伐採するための磨製石斧が出現。
栫ノ原遺跡は夏用の定住集落と言われる。煙道付き炉穴と調理跡(石皿・磨石)が有名。

1.15万年前 桜島の大爆発。火山灰層は「薩摩Sz-s」と呼ばれる。これが縄文草創期と縄文早期の境界となる。

1.1万年前 種子島の三角山、奥仁田で隆帯文土器が大量出土。

1.1万年前 東黒土田遺跡(志布志)。どんぐり貯蔵穴の設備、隆帯文土器が出土。

1.1万年 掃除山遺跡で2棟の竪穴住居跡が発見。炉穴、植物食料の製粉具である磨石などが出土する。
鹿児島遺跡地図

9500年前 上野原(4工区)遺跡。日本最古の大規模な集落遺跡。46軒の竪穴式住居。他に加葉山遺跡、前原遺跡など。前平式土器、巨大落とし穴、土偶などを特徴とする。黒曜石は北部九州から移入される。

九州の縄文遺跡で出土する動物の骨は9割以上がイノシシと鹿である。ほかにヤマネコ、狼、カワウソなど小動物である。おそらく住民が食するには不足していたであろう。

9000年前 桜島噴火。このあと上野原3工区遺跡が拓かれる。

9000年前 南九州本土で植生の変化が見られる。それまでの落葉広葉樹から照葉樹林帯へ。

8000年前 縄文早期の中葉 九州北部が東日本の縄文文化の影響圏に入る。

7500年前 縄文早期後半 南日本から竪穴式住居が消失。気候が亜熱帯化したためと言われる。

7500年前 上野原遺跡で 初の壺型土器が作られる。

6300年前 海底火山「鬼界カルデラ」の大噴火。アカホヤとも呼ばれる。噴出量170 ㎞3以上で九州南部の縄文文化は壊滅した(佐原)。日本全土での縄文早期と前期の境界となっている。

南九州の火山
             南九州のカルデラ