南九州の旧石器~早期縄文時代

以前、鹿児島県の上野原遺跡について書いたことがあった。
我が国で最も古い集落遺跡で、九州でも最大級のものだというのが謳い文句で、脇見出しで、「東日本中心の縄文史観に一石」みたいなことが書かれていた。
一応記事は紹介したのだが、なんとなく喉に引っかかる感じで、素直に受け入れるというところまでは行かなかった。

それとともに上野原遺跡がどちらかといえば観光プロパーで取り上げられ、かえってその核心的意義を外してしまっているのではないかと危惧していた。

ところが調べるにつれ、南九州の縄文というのはすごいなということがわかってきた。
下記は種子島における旧石器時代から縄文草創期にかけての遺跡の一覧である。これだけ見ても種子島が日本創生におけるひとつの生誕地であることがわかる。ことほど左様に南日本の歴史上の意義は大きい。

遺跡一覧

この度、南日本新聞社が発行した「発掘!! 上野原遺跡」(平成9年)を読んで、かなりそのもやもやがスッキリした。それだけでなく、鹿児島でこの間に発見された縄文遺跡群が歴史を書き変える程の意義を持っていることを知り、驚かされた。
なかなか手に入りにくい本だと思うが、ネット古書店などで探してみてほしい。

1.南日本文化は日本列島が氷河期を抜け出すにあたって日本最初の人類文化の夜明けを告げた。

日本の旧石器時代は、確認しうる限り4万年ほど前から始まった。それから2万年の間、旧石器人は語るほどの文化を持ちえなかった。
2万年前の遠軽の黒曜石採掘をもって、人類と呼べるほどの歴史遺産をようやく残すようになった。
そんな縄文時代草創期において、南九州は全国に先駆けて、旧石器時代の寒冷乾燥気候から温暖湿潤な気候に変化した。このような生活環境の変化は、南九州に独特な文化をもたらした。

2.南日本文化は本土縄文文化とは異なる発達を遂げ、従来考えられていた草創期縄文文化の枠を超えていた。

それらは縄文時代草創期から早期にかけて,日本列島の他地域より先駆けて、植物質食料に依拠する生活様式を形成した。

3.南日本文化は度重なる火山活動の被害をくぐり抜けてきたが、7千年前の鬼界カルデラの噴火をもって基本的に消滅した。しかしそれは伏流水となって九州北部の縄文晩期文化に引き継がれた可能性がある。

これらの特徴を捉えるならば南日本の先史文化を「縄文時代」と括ることにそもそも無理があるのではないかとも思えてくる。

なお付言すれば、南九州では桜島などの大噴火による火山灰の堆積が、絶対年代研究に重要な手がかりを与えている。
M7a
      篠田さんによるM7aハプロの分布図
もう一つ、これはゲノム屋さんの風呂敷の範囲内の話だが、日本における2つの原縄文人である北方系と南方系(わたしの命名ではマンモス人とナウマン人)の関連についてもいくつかの示唆を与えてくれている。ただしM7a分布の読み方については篠田さんの意見には賛同できない。

ということで、縄文史学は、鹿児島の遺跡群の発掘以前と以後でまったく姿を変えたのである。少なくとも私の認識は一変した。


前置きのつもりが長くなってしまったので

は別記事としました。