オットー・ディクス(Otto Dix) 略歴

1891年12月2日 ゲーラ近郊のウンテルムハウスに生まれる。生家は貧しい労働者の家庭。

1910年 ドレスデン工芸学校に入る。

1914年 第一次世界大戦に機関銃兵として従軍。3年間にわたり西部→東部→西部戦線を転戦、戦争の悲惨さを体感する。

1918年 負傷し軍務を離れる。

1920年 グロスとともにダダ→表現主義を掲げる。

1922年 新即物主義運動が勃興。ディクスとグロスが代表となる。第一次大戦後のドイツの貧困と堕落を赤裸々に描く。

1923年 油彩「塹壕」(Grabenkrieg)を発表。残酷な表現が賛否を呼ぶ。ケルン市長のアデナウアーはディクスを支持する美術館長を罷免。

1924年 「芸術家の両親」と銅版画シリーズ「戦争」(50枚)を相次いで発表。

1925年 マンハイムでディクスを中心とする「新即物主義」展が開かれる。

1927年 ドレスデン美術アカデミー教授となる。

1933年 ナチスが政権を掌握。その後、ディクスはアカデミーを解雇される。その後コンスタンス湖畔へ移り、素朴な風景画に切り替える。

1937年 ナチスがミュンヘンを皮切りに各地で頽廃芸術展(Entartete Kunst)を開催。ディクスの作品が多数展示される。展示理由は「反戦的な気分と兵役拒否を助長する」ため。

1938年 ディクスの作品260点が公的コレクションから押収される。

1939年 ディクス、反ヒトラー陰謀に加担したとして逮捕。

1939年 第二次世界大戦がはじまる。ディクスは国民突撃隊に招集され従軍する。

1942年 フランスのジュ・ド・ポーム国立美術館の庭で、退廃芸術作品600点が焼却される(ピカソ、ダリ、エルンスト、クレー、レジェ、ミロなど)

1945年 ディクス、フランス軍に逮捕され、捕虜となる。

1946年2月 ディクス、フランス軍から解放される。ソ連占領下のドレスデンを中心に活動を再開する。

1949年 シュトゥットガルト州立芸術アカデミーの教員となり移住。西ドイツに活動の場を移す。(英語版では66年までドレスデン在住とされている)

1969年7月25日 ディクス、脳卒中に死去(77歳)

画像は下記より転載

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  伊丹美術館のディクス展ポスター

壕の中で死んでいる歩哨
          壕の中で死んでいる歩哨
負傷兵
                負傷兵
突撃
             突撃
毒ガスの犠牲者たち
             毒ガスの犠牲者たち
マッチ売り
傷痍軍人
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                 銃殺
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               売春婦 1
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        売春婦 4