キューバは被曝者治療の経験を持つ医師団を日本に派遣する用意がある--アレイダ・ゲバラ氏に聞く

2011年08月03日 「東洋経済」ONLINE

震災後に来日したゲバラ氏の長女で、小児科医で もあるアレイダ・ゲバラ氏に聞いた。

アレイダ・ゲバラ・マルチ: 1960年チェ・ゲバラと妻アレイダ・マルチとの娘として生まれる。小児科医。現在はキューバ親善大使を務めながら、ラテンアメリカやアフリカで子どもたちのための医療活動をおこなう。またジャーナリストとしてベネズエラのチャベス大統領にインタビューしたり、マイケル・ムーア監督作品『シッコ』にも出演している。またチェ・ゲバラ研究センターのコラボレーターでもあり、チェ・ゲバラの活動や著作の資料を調査し公表している。

--08年、10年に次いで3度目の来日となりますが、今回の目的は。

津 波と地震のニュースを聞いたとたん、すぐに日本のキューバ大使館に連絡をして、すべての日本人の知人に対して哀悼の意を伝えると同時に、自分で何かできる ことがあればすぐにやると伝えて欲しい、と告げました。その後、キューバ大使館を通じて、何人かの友人が日本全国での講演会などを企画してくれています。

--被災地も訪問されたそうですね。

東北の被災地は2カ所回りました。南相馬では、約半分が避難区域に指 定されています。しかし話によると放射線量は半径30キロ圏外でも風向などによって高いところがある。たとえば子どもにずっとマスクを着用させるべきか、外出させないようにするべきか、母親たちが大変心配しているそうです。

キューバではチェルノブイリの子どもたちを招いて治療した経験もある。私はその経験から、子どもたちに倦怠感などの兆候が見られた場合、すぐに血液検査をするべきだ、と助言しました。また必要であればキューバに来ていただくなり、キューバから経験を持つ医師団を派遣するなど、どんな形でも協力するとも伝えました。私たちはできるかぎりの協力をしたいと考えています。

もう1カ所は石巻市です。街の様子は言葉を失うほど酷いものでした。改めて津波のすさまじさを感じました。市長は、「復興は2年程度ではとてもできな い、被災した家屋が多すぎる」と言っていました。もっと多くの人や子供たちと話をしたかったのですが、滞在時間が短く、とても残念に思います。

石 巻市には、キューバ大使館などを通じて、また私個人からも寄付をしました。石巻は400年前、初めてキューバを訪れ た日本人、支倉常長ゆかりの地です。キューバと日本の友好のあかしとして寄付をしました。このほかにも、キューバ音楽のCDを2種類、1つは子供向けのCDをお渡ししました。本当はもっといろいろできればいいのですが。

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--福島県を中心に放射線量が1時間1マイクロシーベルトを超える地域があり、子供を抱える母親などは大きな懸念を抱いています。こうした地域に住んでいる子供の健康への影響を、小児科医としてどのようにご覧になっていますか。

被曝線量だけでなく、子どもによっても差があるので一概には言えません。大切なのは倦怠感などの症状が出ていないかなどを定期的に見続けることです。同時に、土壌の除染を一刻も早く進める必要があります。多くの人は現在住んでいる場所を離れたくないという思いが強いでしょうから、土壌汚染を解決することが大切です。

--キューバでは今回の地震などはどのように伝えられたのでしょう。

地 震と津波のニュースは速報で伝えられました。カリブ海にあるキューバも、台風などの自然災害が多い国なので、人々は非常に親身になって事態を見守っていま した。キューバには「ヘンリー・リーブ」と呼ぶ1万人規模の医師団があるのですが、日本からの要請があればすぐにこの医師団を派遣する用意をしていまし た。

ヘンリー・リーヴ医療団については拙稿 ハイチで活動するキューバ医師団との連帯を   メディアが報道しないハイチのキューバ医療団 を参照されたい。

--今回の事故によって、原発は岐路を迎えています。今後、世界の原発政策はどのように変わるとお考えでしょうか。

原発以外にエネルギー源を探る方策はいくらでもあります。太陽光、地熱、波動など、再生可能エネルギーの利用をもっと進めるべきです。人間にとって害の少ないエネルギーを探すことは可能なはずで、すぐにでも新たな解決方法を探すべきです。

--キューバは過去に原発を建設しましたが、運転は断念した経緯があります。現在のキューバのエネルギー政策はどういったものでしょうか。

依然として化石燃料への依存度が高いのが現状です。水力なども利用していますが、キューバの河川は水量があまり豊富ではないという問題があります。そのほかにも、太陽光や風力など、安全かつ自然なエネルギーの活用を模索しているところです。

--今回は広島と長崎の平和記念式典にも初めて参加されるそうですが、この時期に式典に参加される意義は。

今回、私は反戦だの、反核だのを訴えに来たわけではありません。そういうことを伝えるのは私ではなくて、むしろ身を持って体験した日本人の役目ではないでしょうか。日本人は平和や反核ということについて、より強く訴えていくべきだと思います。

私の父が広島を訪れたとき、ハバナにいた母へ絵はがきを送りました。そこには「平和のためにさらに強く闘うには、こういう場所を訪れなければならない」と記してありました。

--カストロ前議長は長らく「反核」を掲げてきました。オバマ大統領が「反核」を訴えてノーベル平和賞を受賞しましたが、カストロ前議長にもチャンスはあるとお考えですか。

私たちにしてみれば、オバマよりずっとノーベル平和賞に値しますよ(笑)。フィデル(・カストロ)は長らく人々との団結、共生を説いてきました。また核戦争に対して異議を唱え続けてきましたが、残念ながら世界では報道されませんでした。

核兵器が人々に及ぼす危険は甚大です。だからこそ、このように広島や長崎を訪れ、キューバが反核国であることを訴えるのです。いかなる国も核兵器を持つことが許されてはなりません。

オバマ大統領については、日本記者クラブの会見で触れている。「初の黒人大統領として、オバマへの期待は大きかったが、そのようにはなっていない。…キューバ人に恐れを抱かず、隣人として尊重してほしい。自分たちの社会とは異なる社会モデルの国のひとつとして、キューバを受け入れてほしい」

--ラウル・カストロ議長のもと、キューバは経済改革を進めています。一部、市場経済を導入する動きもあるようですが、今後キューバ経済はどのような形を目指すのでしょうか。

経済改革でもなく、市場経済を取り入れているわけでもありません。現状ある問題を、経済的にどのように解決するかを探っているのです。キューバは社会主義のままです。そのなかで、どう内需を増やすか、という改革をやっています。

一部では、個人が商店を開く動きもあります。こうした人たちは、自分たちの暮らし向きを基準にものを考えるようになります。そういう社会的傾向が強まることに懸念はあります。

一方で、キューバでは教育費も医療費も依然無料です。私たちは今後も社会主義を基本としていきます。個人レベルでは別の可能性も探っていきますが、それがどうなるかは将来の問題です。

--米国では「キューバは市場経済へ移行している」と報道していますが。

彼 らがそう思いたいだけでしょう(笑)。欧州で社会主義体制が崩壊した際、キューバは大きな経済的打撃を受けました。しかし「非常期間」から時間が経ち、キューバ経済は回復しました。現在は政府がきちんと人々を雇用して、 雇用されていない人にも給与を払っています。

04年には米州ボリバリアーナ同盟 (ALBA)が始まりました。キューバはラテンアメリカ諸国とより多くの貿易を行うようになりました。ALBAによって、たとえば建設資材や皮革、繊維といった新たな素材が必要になりました。

世界で経済不況が起きた結果、キューバでも働かない人を支援していくのが困難になりました。こうした人たちにも支援は必要です。そこで新たな方策として個人的な事業を興せるようにしました。個人が利益を上げるためではなく、尊厳を保つために事業をできるようにしたのです。

これが現在起こっている「経済改革」です。この改革はキューバ国民によってきちんと議論され、承認されたものです。

--被災地の方にメッセージはありますか。

 「皆さんのお気持ちがわかります」と言っていいのかわかリませんが、被災地の現状を目の当たりにして、皆さんがどれだけ大きな絶望感を抱いているのかは想像できます。

私に言えることは、強く、尊厳を持って生きてほしい、ということです。復興にはたくさんのことが必要だと思いますが、日本人は前を向いて進んでいけると信じています。

特に働く女性の小児科医として、被害に遭われた多くの女性を励ましたいし、何か力になれたらと考えています。

(聞き手:倉沢 美左 撮影:尾形文繁 =東洋経済オンライン)

チェルノブイリ・キューバ・プロジェクト
あまり知られていないことなので、ぜひこの機会にお知らせしたいと思います。
チェルノブイリ原発が事故を起こし膨大な死の灰が巻き起こされたのはもう20年以上も前のことになります。多くの人が犠牲になりました。今もなお、白血病や新たな癌が発症し、後遺症に悩む人がいます。しかし、もうおおかた忘れ去られた事件です。
キューバは国家を挙げて被災者の救援に取り組みました。特筆すべきは、このプロジェクトが90年3月、未曾有の経済危機の中で開始されたということです。ハバナ東方20キロのタララ保養地区で、年間約800人、16年間で延べ1万8546人の児童が、45日から1年滞在して治療を受けています。これまでの死者は15人で、16件の骨髄移植が行われています。このプロジェクトはキューバの資金負担によって行われ、経済危機の間も維持されました。国民が呑まず食わずの苦しい生活を送る中でも、ついにその構えは崩れませんでした。
そのタララでプロジェクト開始20年を記念する式典が施行されました。
式典に出席したウクライナ大使は、ユシェンコ大統領の感謝のメッセージを読み上げました。ユシェンコといえば親米国派の旗頭でロシアに毒を盛られたアバタ面です。
「キューバ国民はウクライナ国民の苦しみと痛みに初めて応えてくれました。そしてその助けを、最も感じやすく最も保護されていなかった人々、ウクライナの児童に向けてくました」
何かウルウルしてしまうようなメッセージです。これがキューバ革命なのだと、
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/la/cuba/recentcuba.htmより転載。