そろそろ全共闘礼賛はやめるべきでは

安田講堂が落城して何年とか言って、テレビで回顧番組をやっている。
なぜ何時までもこんな番組をやるのか。現代史から見れば、それは全共闘崩れを企業が歓迎したからだ。なぜか、彼らは戦闘的な言葉で戦後民主主義を攻撃し、個人主義、しかもエリート風の傲慢な個人主義を撒き散らしたからだ。
全共闘運動の真の姿は、権力と大企業による反民主主義キャンペーンなのだ。
全共闘の戦士たちはヘルメットを脱ぐとたちまちに企業戦士に変ぼうし、独占資本の尖兵となった。その変身ぶりには唖然としたものだ。
そういう連中がマスとしてなだれ込んだのがメディア世界、とくに放送・宣伝業界だった。
その彼らが現役、あるいは現場幹部でいる間、全共闘礼賛と民主運動の無視は続いた。
それを企業の側も良しとし、礼賛さえした。戦前に軍事産業や中国進出企業が軍部のテロを礼賛し、青年将校を持ち上げたのと同じだ。

若い人たちには関係ないかもしれないが、はっきりといっておきたい。間違ったことは間違っているのだし、悪いことは悪いことなのだ。石を投げ、放火し、鉄パイプで人を殴ることに一片の道理もありはしない。しかも群衆の一人として、匿名でそれを行う卑劣さもなかなかのものだ。

今、それが間違ったこととも、悪いこととも思われていないのは、そういうことをした連中、させた連中が日本の中枢を握っているからだ。
それを間違った、悪いことだと主張した人々が中枢から排除され、不当に差別されたままに、時代を経過しているからだ。

全共闘運動の階級的本質は以上に述べたとおりだ。しかしその時代的背景、あるいは世代論というのであれば、別の言い方もあるだろう。

私達の学生として生きた時代は、日本の戦後が終わり高度成長のトバ口へと立ったときだ。
ベビーブームとともに進学率が急上昇し大学が雨後の筍のように乱立した時代だった。

私は田舎の中学だったから、高校に行かない子が2割を越えていた。大学に行くのはエリートか金持ちだけだった。女の子は高校を卒業すると短大か洋裁学校に行って学歴を終えていた。

私が大学に入って数年のうちに大学進学は珍しいことではなくなり、大学生はエリートではなくなった。
学生という身分が分解して、社会的意味を持たなくなった。東大生と地方の私立大学生を「学生」という言葉で括ることに意義がなくなった。
かつて武井昭夫が主張した「層としての学生運動」というものはすでに存在根拠を失っていた。

全共闘運動の、とりわけその先駆けとしての東大全共闘のメッセージには、「エリート意識の自己否定」などという、聞いていて吐気がするほどのエリート意識が満ちている。これが第一印象だ。
それはおそらくは学生=エリートという「時代」の終焉に共鳴する、一種の「引かれ者の小唄」だったのではないかと思う。

全共闘運動が真面目でなかったと考える第二の理由は、エリートであれば果たすべき社会的役割とか、人民のためにとか、人民の中へという発想が全く見られないことである。
いわば受け身のエリート意識というか被害者意識で膨らませたエリート意識がそのすべてである。
全共闘はバリケードを作って立て篭ったが、セツルメント運動に飛び込んだり公害反対運動や障害者運動に取り組んだり、という話を聞いたことはない。
こんな運動が早晩隘路に突き当たるのは目に見えている。

第三に全共闘運動はエリート意識、あるいはエリート意識の自己否定にもとづいた、超個人的な運動だから、集団として自己規定することができない。あくまで“群れた個”であり、風に揺れる葦である。
学生という存在を、エリート性に置いてではなく知性に置いて捉えるのであれば、学生のマス化は何よりもまず知性のマス化として捉えられる。
そのときマス化された知性は、まず自らを集団的知性として組織しなければならない。それが真の“自己否定”というものだろう。量から質への転換を自らの手で切り開かなければならないのである。
連帯し構築する知性としての集団的知性、それこそがマス化した学生の目指すものではないだろうか。

私は民医連運動においてそういう流れの中に身を起き、鍛えられた。
医師個人の技術ではなく、医師集団の技術の水準をあげていこう。そのために一時的な不公平が生じてもみなで支えあおう。患者と住民の信頼を瞳のように守りながら技術建設していこうと誓いあった。それが北海道だけでなく、日本中すべての地域に澎湃として巻き起こったのである。

70年代に日本の学生が打ち立てた金字塔は、全共闘ではなく、まして安田講堂でもなく、おそらくは全日本民医連の運動の中にあったと思う。