1818年からベルリン大学で『法の哲学』を連続講義し、これが出版される。死後にヘーゲルの講義の受講生が編集した解説や補遺が加えられる。

ヘーゲルの“体系フェチ”にいちいち付き合う必要はない。人間の欲望に基づいて社会が発展していくことを押さえておけばよい。

肝心なことは次の点にある。

市民社会は“市場においてもたらされる欲望”に基づく労働の体系だ

ただし労働というのは賃労働のことではない。諸個人の自己陶冶の活動だ。欲望というのも本能的欲望ではなく社会的欲求を指す。

ヘーゲルはここで明らかに聴衆を煙に巻こうとしている。ここから我々は本質をつかみ取る必要がある。
動物の欲求は生理的レベルに制限されているが、人間の欲求はそれを超えており、生理的制限を解き放ち発展させることができる。欲求は多様化し可変的となる。その多様化と可変化は市場が生み出す。
ここがヘーゲルの社会的欲求論のキモである。
この後議論は、「市民社会と国家が2階建て構造を形成している」という方向に移っていく。
国家は欲望の体系を包摂しながら市民社会の利己性を監視する。また対外的には、国際社会における特殊性を実現する。
国家の称揚は、アダム・スミス(見えざる手)の否定のように聞こえるが、そこには多分に国家権力へのリップサービスが混じっているようだ。