金融資本は金貸し階級の「否定の否定」なのか?

マルクスは中世から近代資本主義への脱皮を、重金主義・重商主義の廃棄と産業資本家の勃興として描いているが、正確にはどうなのだろうか。

資本論第三部の描写にはそれとは違う金融資本家が登場するが、それは金貸し階級の「否定の否定」なのか、それとも産業資本家の巨大な富を吸い取った金貸し階級の発展形なのか、この辺がどうもよく分からない。

日本でもたとえば元禄時代に様々な金融技術を生み出し反映した大阪の商業資本がどういう運命をたどったのか。それは大正から昭和初期の大阪資本の反映と地下水脈を通じてつながっているのか、この辺もよく分からないところである。

ゾンバルトの「ユダヤ人と経済生活」

湯浅赳男さんの「ユダヤ民族経済史」という本が、ゾンバルトの「ユダヤ人と経済生活」という本を紹介している。
ゾンバルトの主張は「中世~近世の国際商業資本」がどういう動きをとってきたか、それは近代資本主義にどのような影響を与えてきたかを知る上で示唆的なものだ。

「ユダヤ問題」というセンシティブな論点をふくんでいるので、ここでは「中世~近世の国際商業資本」と読み替えて、ポイントを探っていきたい。

ゾンバルトによれば、生成期の国際商業資本には3つの特徴があった。
第一に、自らが築いた国際ネットワークが唯一の国際商業の手段であり、彼らはノウハウを独占していた。
第二に、彼らは羨望と嫉妬の的ではあっても、尊敬の対象ではなくつねに経済外的強制のもとにあった。
第三に、彼らの資産は危機に備え、つねに動産の状態(過剰流動状態)に置かれていた。

資本主義の生成期に「国際商業資本」の資本が投下された主要な分野は、①国際商品取引、②アメリカ大陸の植民事業、③軍需品の納入、の3つであった。

これらの歴史的要因の結果、現代資本主義のもう一つの側面、「高度な市場化」がもたらされた。
ゾンバルトはこれを「国民経済の取引所中心化」と呼んでいるが、多少長ったらっしい。

「高度な市場化」の3つの要素

「高度な市場化」は3つの要素からなっている。
第一は、信用の事物化とその請求権の証券化である。具体的には裏書手形、株式、銀行券、無記名債務証書である。
第二は、証券の流通化である。具体的には証券(請求権)の取引所での売買である。
第三は、証券の発行を固有の業務とする企業の成立である。

一言でいえば、それは人間関係の対象化・事物化であり、信用関係の有利証券化である。それは第三者に譲渡可能な「裏書手形」の出現を持って完成した。
この貨幣と信用にかんする一連の進化過程は、17世紀のオランダで発展したと言われる。

湯浅さんのゾンバルト批判

このようなゾンバルトの所説を紹介した上で、湯浅さんはこのような「国際商業資本」があったのは事実だが、それがユダヤ人資本だとは言えないとしている。
なぜなら歴史的事実に即して、ユダヤ人資本が世界に影響を与えるようになったのは19世紀中頃のことに過ぎないからだ。

もう一つ、やや専門的な用語で彩られた「高度な市場化の3つの要素」は、これもまた「高度な市場化」の結果として登場したものであって、それ自身が「高度な市場化」の内容ではないということである。

ただ、それらが巡り巡って「高度な市場化」を加速させたことも間違いがないところなので、「特徴付けとしては面白いんじゃないか」、というのが湯浅さんの結論である。

とはいえ、証券の流通→取引所の発生→証券発行会社の設立という過程は、「あたりまえじゃん」と言うだけの話にも聞こえる。