というファイルでこの表を見つけた。
Rome
まず、どういう表なのかを説明する。
左側の2列は紀元14年における地域別推定人口。右側の2列は164年の人口だ。

左2列のうちBelochの研究は19世紀末のもので参考値と思ってよい。右2列のうちSchaidelのものは細部に異同はあるが、Frierに対する異説として提示されたもののようだ。
ということで我々シロウトとしては、とりあえずFrierのものだけ覚えておけば良さそうだ。

まず人口の変化
AD14というのは、第二代皇帝ティベリウスの即位した年。キリストが生まれたのが紀元0年だが、実際はそれより4,5年早いらしい。従ってこの頃布教を開始していた可能性もある。
一方AD164というのは5賢帝の一人、第16代のマルクス・アウレリウス皇帝の時代だ。
人口は150年で30%ほど増えている。しかし版図が若干拡大していることも考えると、ほとんど増えていない。むしろ人口の停滞ぶりに驚く。

人口の地域分布
しかしこれを地域別に見ると状況は変わってくる。150年の間にローマ帝国の東半分はほとんど人口は増えていない。
これに対し西部諸州の人口増加は著しく、まんべんなく増えている。この結果、東西の人口差は 1.5 倍まで拡大した。

この間ローマ帝国の東側にはパルティア王国という強国があり、500年にわたり繁栄を続けた。当然両国の間には派遣を巡る紛争が続いたであろう。

その間に多くの人が戦士として死に、占領されたちの住民が奴隷として駆り立てられたろうと思う。
そして、それを嫌う人々が全体として西側に向かい移動したとしても不思議はない。
キリスト教の普及拡大もその流れに乗ったと考えれば、納得がいく。
それに押されるようにして、ガリア・ゲルマニアの人々がイベリア・ブリタニアに進出したのであろう。

帝都ローマの人口増加は際立っている
もう一つ、この表ではわからないのだが、イタリアの中でも帝都ローマの人口増加は際立っているようだ。

紀元前2世紀の間,ローマの人口は15万人から37万5千人ほどに増加し,紀元前1世紀の前半には60万人まで増加した。
奴隷,解放奴隷ならびに外国人を含めると総人口は90~100万人に達した。

どうも我々はゲルマン民族の大移動という言葉に乗せられてきたようだ。ローマ帝国の時代にすでにこれらの国の民族的骨格は作り上げられ、その上に征服者としてのゲルマン・ノルマン・デーン人が君臨しただけのことではないのか。