資本論第2部の第8項に至る改訂稿の検討がこれだけ進むと、第3部をそのまま読む気がしなくなる。
第1部で第2版とかフランス語版があってかなり当初の分析とは様相を異にしている。第2部についても発行には至らなかったとはいえ、66年時点での草稿とは相当変わってしまった。

この調子で書き換えが進んでいったとすれば、第3部はどう書き換えられることになったろうか、多くの人の気になるところだろう。マルクスもその期待はひしひしと感じていたに違いないが、非常にそれが気の重い仕事になっていたのだろうと思う。一気に書き下ろすのは勢いで行くのだが、それを改定する仕事は書き下ろしの3倍くらい気を使う仕事になる。だから気力の低下したマルクスは、ロシアの古い農業形態とか、別に急ぐ必要のない仕事に“逃げ込んだ”のではないだろうか。

とりあえず研究者に期待したいのは、もしマルクスが後10年元気だったら、第3部をどう書き換えていただろうかという点にある。誰かが旗振りをしてそういうテーマでシンポジウムでもやってくれるといいと思う。

もう一つは資本論に今一度、哲学的な意義を付与して、要綱マルクス的な展開をしてみるべきではないかということである。とくに消費過程・生活過程・欲望の産出過程を物質的生産過程と照応させて、人間的過程を複線化することである。

この思想的遡り作業は、骨の折れるわりに、評価が定まらない論争的なものになるので、誰もあまり手を出そうとはしないだろう。しかし哲学的にはだいじなところだ。