WASPというのを調べていて、そもそもアングロ・サクソン人という人種なんてあるのだろうかと思って、少し調べてみた。
昨日の夜はそれで過ごしたのだが、今朝になったら見事に消えていた。ワードパッドで書いて、アップしないまま終了してしまったらしい。パソコンを使わないでいると電源が自動で切れてしまう仕様になっているようだ。しようのない話だ。
とりあえずはそれほどの話でもないので、記憶をたどりながら書き記しておく。

最初はベタで「ケルト人」が住んでいた

目下のところ、なぜイングランドに住む人々をアングロ・サクソン人というのかはわからない。
イギリスに文化が育つのは意外に遅い。
ストーンサークルを作った旧石器時代人はどんな生活を送っていたかはほとんどわかっていないようだ。
紀元前5世紀にケルト人が大陸からやってきて農耕文明をはじめたことになっている。ところが、前にも書いたとおり、そもそもケルト人という人種が存在したのかということさえ分かっていない。
古代ギリシャの北方に住んでいて、そこからヨーロッパ大陸を西に向かって拡散し、ドーバー海峡を渡ってきたことになっていたが、どうもそんな連中がいたという事実がないかもしれないということになってきた。最近ではイベリア半島の北部から船に乗って渡ってきたという説が有力らしい。それをいわば空想上の民族である「ケルト人」ということが正しいのかどうかも議論になっているようだ。
まぁとにかく日本で言えば稲作民族が朝鮮半島から渡来したのと時期的にはほぼ一致する。
日本の場合はこれら渡来民族が在来の縄文人と混血して日本人の元型が出来上がったのだが、ブリテン島ではどうだったのか、この辺も良くわからない。
まあとにかく、紀元前後には大小のブリテン島に「ケルト人」が広がった。

ローマ人がやってきた

そこにシーザーの率いるローマ軍がやってきた。ローマ軍は現在のイングランドに当たる領土を占領しほぼ5世紀にわたって支配した。この結果、三種類の人種が形成された。一つは従来型のケルト人であり、ローマの支配の及ばないウェールズ、スコットランド、アイルランドに住み続けた。もう一つはローマの支配下に生きたケルト人であり、ブリトン人と呼ばれた。ローマ人の植民も見られたが、人種構成を変えるほどのものではなかった。

これは紀元前後に天孫系の民族がやってきて、渡来人と縄文人を支配したのと時期的には近似する。時期を一致して洋の東西で似たような人種的三層構造が形成されたことは注目に値する。

ローマ人が去りアングロ人やサクソン人がやってきた

5世紀になるとローマ帝国は衰亡期に入り、東西に分裂した。西ローマはゲルマン民族の人口圧に耐えられずブリテン島経営を蜂起した。
イングランドのブリトン人はみずから国を統治しようとしたが、非力のために雇い兵で権力を維持しようとした。ところが雇った兵隊がクーデターを起こして国を乗っ取ってしまった。

最初に入ってきたのがアングロ人で、これはユトランド半島の付け根のあたりからやってきた。アングロ人の土地というのでイングランドと名付けられたらしい。
次に入ってきたのがサクソン人で、これはハンブルクから上流のエルベ川流域、ドイツでは下ザクセンと呼ばれる地域に住んでいた。もうひとつ(早くも名前は忘れた)は今のデンマークの半島部に住んでいたらしい。

ブリトン人は「浄化」されたのか

現代イギリス人(イングランド人)は自らをアンゴルサクソンと名乗る。では在来のブリトン人の生命はどうなったのだろうか。周辺3カ国に逃げ込んだのだろうか。それとも片っ端から虐殺されたのだろうか。
あるいは先祖がローマ人に従ったように、アングロサクソンにも従って、その支配のもとで生きながらえた可能性はないのだろうか。これはゲノム解析すればかなりはっきり結論が出そうな気がするのだが。

デーン人の侵略とアーサー王伝説

Britain_peoples

アンゴロサクソン人はイングランドに7つの王国を作って暮らすようになる。その中から統一の動きも出てきてやがて統一するのだが、それはデーン人に対する共同の抵抗という意味も持っていた。

そもそも北ドイツに住んでいたアンゴロ・サクソンがどうしてイングランドに入ってきたかというと、じつはもっと北に住むデーン人に追いやられたためでもある。

デーン人はバイキングの一族であり、命知らずの海賊集団である。最初はアンゴロ・サクソンが束になっても勝てなかった。しかし7王国のリーダーであるウェセックス王国のアーサー王がかろうじてデーンの全面支配を食い止めた。

こうしてアングロ・サクソンとデーンの拮抗関係が数世紀にわたり続いた後、両者ともに消耗し尽くした時、ドーバー海峡を挟んだフランス側のノルマン王国が侵略を開始した。

ノルマン王国の支配

ノルマン王国はフランス語とフランス風の統治スタイルをイングランドに持ち込んだ。ノルマン人以外の人種はデーン人もふくめてイングランド人と一括されるようになった。

ノルマンの血統が絶えた後も、フランスの別の王家プランタジネットが支配を続けたから、北フランスのゲルマン人も一定の割合で混じりこんでいる。

したがってイングランド人が自らをアングロサクソンと呼ぶのは不正確と思う。

結論

民族皆殺しが行われない限り、イングランドでは数回の大規模な人種交配が行われている。

まず旧石器時代人とケルト人の混合。ついでケルト人とローマ人の混合。ついでローマ・ブリトン人とアングロサクソン系三人種の混合。ついでアングロサクソン系とデーン系の混合。最後に北フランス系ゲルマン族との混合ということになる。

これがDNAの上にどのように反映しているかは、別文献を当たる必要がありそうだ。

しかし、このようにして形成された「人種」をアングロ・サクソンの名のもとに一括するのは著しく正確さを欠くものと言わざるを得ない。


日本人の起源論との関係

ただこれは実は出発点なのであって、イギリスは日本人の起源を考えるときの最良の対照なのである。

イングランド人というのは、旧石器時代人とケルト人、ローマ人、ゲルマン人、スカンジナビア人、最後にノルマン人という人種の重なりによって形成された民族なのだということである。

なぜか、それはブリテン島というのが日本列島と同じで行き止まりの国だから、逃げ道がないから、重なっていくしかないという事情を抱えているからである。

問題はそれぞれの民族がどの程度の重味を持って重なっていることである。

歴史を単純に重ねるなら、ストーンヘンジを作ったのが縄文人、そこに渡来したケルト人が弥生人、紀元前後にブリテンにやってきて、支配したのがローマ人ということになる。

ただその後2つの国は別の歴史をたどり始めるのであって、日本にはデーン人やノルマン人に相当するような諸種族の重なりは見られない。

この辺はたとえばY染色体DNAとかミトコンドリアDNAとかで別個に情報を集める他ないのである。