内田弘 『資本論』形成史における『哲学の貧困』
(専修大学社会科学年報第47号)

という論文があって、内田さんの難しいものの言い方にいささか辟易しながら読んだのだが、経哲手稿の冒頭に「剰余価値」の初出があるというのに興味が惹かれた。

じつは、剰余価値の初出があまり良くわからなかったのである。

57年草稿にはまだ出てこないと言われていたので、61年草稿(剰余価値学説史)にいたる2年間の空白の時期に発想されたのか、くらいに思っていた。

ところが内田さんによると、この言葉はすでに経哲手稿に出ているというので、多分違った意味合いで使っているのだろうと思う。

すこし内田さんの文章を引用する。
経哲手稿の冒頭は『国富論』第1編後半の賃金・利潤・地代からの抜書である。
マルクスは、スミスのいう「利潤・利子・地代」を全体として抽象=還元するための概念として、その源泉たるという言葉を導出した。
「剰余価値」はパリノートのなかの「スミス『国富論』ノート」に初出している。
とここまでのところは、スミスを読んでいる間に思い浮かんだ思いつきという書き方だ。

ところが、内田さんの議論はさらに進む。
ただし剰余価値という言葉は、マルクスの創案ではない。すでにヘーゲルが、『法=権利の哲学』で、収入諸形態の総称として「剰余価値」を用いている。
そしてマルクスは、ヘーゲルのこの本を熟読したうえで、「ヘーゲル国法論批判」を執筆しているのである。
つまり内田さんによれば、剰余価値という言葉を最初に使ったのはヘーゲルであり、マルクスの頭にこの言葉が引っかかっていて、スミスを読んでいるうちにふとその言葉が思い浮かんだということになるようだ。

さらに内田さんの説明は続く。
ヘーゲルは「剰余価値」を「収入諸形態の総称」というカテゴリーで用いた。しかしマルクスは、そこにとどまらずさらに深い水準に推し進めた。
「剰余価値」という言葉に「諸収入の源泉」という位置づけを与えているのである。
ヘーゲルの「剰余価値」を受け継いだとしても、マルクスはそれで終わる人ではなかった。

と内田さんは結ぶ。目下のところ確かめるすべはない。