不破さんが現綱領を作成して、その後現役を引退してから、もうずいぶんになる。
退役後、ずいぶん本を書いた。最初はこちらもお付き合いしたが、だんだんずるけるようになってしまった。
しかし未だに日本の革新運動史上最高の理論家であると思っている。
それはともかくとして、
「資本論はどのようにして形成されたか」(2011年)という本があって、その中の一節が大変印象的なので紹介しておく。
これは「リーマンショックから10年」という年がまもなく終わるにあたって、なかなかふさわしい一文ではないかと思う。
といっても、不破さん自身の発言ではなくマルクスの引用なのだが、不破さんの博識ぶりに感嘆したという話だ。ついで不破さんによる背景説明というかウンチク。
これは、1857年恐慌の終結後の58年10月、マルクスがアメリカの新聞『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』に掲載した経済論説「イギリスの商業と金触」のなかの一節です。イギリス議会下院委貝会の恐慌問題の報告書が、恐慌の原因は「過度の投機および信用の濫用」にあったと結論したのを読んで、マルクスが、問題はそんなところにあるのではない、「過度の投機および信用の濫用」がなぜ10年ごとに繰り返されるのか、その原因を究明するところに恐慌問題で探究すべき中心問題がある、こういう痛烈な批判の言葉を校げつけたのでした.
それから160年も経って、いまなお先進国の国民が、「きわめて見え透いた幻想に惑わされて、周期的に自分の財産を手放す発作」にとらえられるのはなぜか。しかも10年毎に繰り返されるこっぴどい警告にもかかわらずやられるのは、いったいなぜか。
自己幻惑、過度投機と架空信用を10年おきに再生産する社会的事情ってなんなのだろう。
ということで、マルクスはそれをマインドの面から説明し、しかもそれに合理的な経済的説明を継ぎ足そうとしている。
マルクスの言につづいて、これを引用した不破さんの読解と解釈。
この文章を読んで、私が求めていた問題は、まさにここにあったと直感しました。資本主義的生産はどうして恐慌という破局を周期的な必然とする運動形態をとるのか、恐慌論でいう恐慌の「根拠」――生産と消費との矛盾――が周期的な恐慌を伴う産業循環を生み出すのは、資本主義経済のどういう仕組みによってなのか。マルクスは、“問題はここにあるのだ”と言って、核心を避けて常識的な一般論に終始したイギリス議会に批判の言集を投げつけたのです。“そうである以上、この問題にたいするマルクス自身の回答にこそ、マルクスの恐慌論の核心があるはずだ”、私はこう考えて、マルクスが経済論説で提起した問題を「恐慌の運動論」と呼び、その探究を志したのです。
ということで、さらに文章は続いていくのだが、とりあえずは
1.恐慌は投資家のマインドの問題である
2.マインド形成には資本主義のメカニズムの必然性が反映されている
という2段構えの論理を、マルクスが準備していることが分かればよい。
「資本主義システムが直接に恐慌を生み出すメカニズムを内包しているわけではない」、というのはマルクスの成長の証であろう。1.恐慌は投資家のマインドの問題である
2.マインド形成には資本主義のメカニズムの必然性が反映されている
という2段構えの論理を、マルクスが準備していることが分かればよい。
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